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4月2日
2009.04.02


 3月16日に神戸・新長田に無事、引越しました。取りあえず、アスタくにづか4番館の2Fに荷物を降ろし、仮事務所兼スタジオとして神戸での活動の第1歩を踏み出しました。
 4月2日から、同じ棟の4Fにあるライブハウス(元SITE KOBE)へ移動。
 その日に早速、以前から決まっていたSUNTVの「笑い飯・千鳥の舌舌舌舌(ベロベロタンタン)」の収録がありました。

 こちらに来てから、近隣の商店街へあいさつ回りに行きましたが、いずれのお店の人もdBに対して強い関心と期待をお持ちであることを感じました。
 震災で一度、コミュニティが崩壊した後、現在まで復興にかけられてきた熱い思いと、私たちも協働していきたい思います。

 また、4月5日には、神戸ビエンナーレ2009 半年前プレイベントの一環で「ダンス列車が走る!IN 地下鉄海岸線〜ダンス・ダンス・ダンス〜」を開催いたします。三宮・花時計前から新長田から貸切電車でのダンスに始まり、新長田駅前から大正筋商店街を巡って、ArtTheater dB神戸が終着駅になります。出演は近大・踊り組、小寺麻子他、音楽は三田村管打団?の選抜メンバーと桴桴が担当します。ダンスと共に新長田の街も楽しんでいただければと思います。
 お勧めは、そばめしとぼっかけ(すじ肉とこんにゃくを煮込んだもの)。50軒あるお好み焼き屋さんから、選んでくださいね。

  ArtTheater dB神戸の正式なオープンは4月29日(祝)になります。記念シンポジウムとして「地域社会にとってアートの果たす役割とは〜劇場を中心に〜」を開催いたします。基調講演はアサヒビール芸術文化財団の加藤種男氏と北九州芸術劇場の館長の津村卓氏にお願いしています。また、神戸で活動するアーティストや劇場関係者等もパネラーとして参加いたします。
 シンポジウム終了後にはささやかなパーティも準備していますので、皆さま是非、ご来場ください。

 5月1日から5日にかけては、岩下徹、隅地茉歩、エメスズキによるワークショップを開催します。地元の人も参加しやすい内容で実施いたします。またGW中ですので、遠方の方も是非、ご参加ください。宿泊ご希望の方についてはご相談ください。
 こけら落としの公演は5月16日(土)、17日(日)と23日(土)、24日(日)に開催いたします。出演は地元・神戸を拠点として活動するアンサンブル・ゾネを始め、関西から世界にかけて活躍するアーティストの競演です。

 劇場の舞台は5間(間口)×4間(奥行)×6m(高さ)で、客席はひな壇組みで122席の予定です。フェスティバルゲートのArt Theater dBよりもひと回り大きく、高さがあるので作品がどのように見えるか楽しみです。

 また、一昨年の秋にワークショップからスタートした循環プロジェクト「≒2(にあいこーるのじじょう)」は、初演後、昨年の12月には東京の明治安田生命MY PLAZAホールでの公演を経て、4月末には松山、5月には神奈川の桜美林大学と世田谷美術館での公演が予定されています。障がい者のダンスという枠組みではなく招聘されたのが、快挙だと思います。

  その他に5月20日から、劇作家・演出家の菱田信也を講師に向かえ、演劇のワークショップを開始します。‘01年新長田を舞台に書いた「いつも煙が目にしみる」が第1回近松門左衛門賞優秀賞、更に原作をベースに改作した「パウダー〜おしろい〜」が’06年読売文学賞(戯曲シナリオ部門)を受賞。
「パウダー」は兵庫県立芸術文化センターで上演されたものの、原作の「いつも煙がめにしみる」は演出上の難しさから現在まで上演されてきませんでした。
 今回、ArtTheater dB神戸のオープンを機に、作品の舞台となった新長田から市民劇団を立ち上げるべく、ワークショップをスタートし、この作品の上演を9月に市民と共に創造したいと思います。

  また、ダンス、演劇の貸館としての業務も開始いたします。4月から9月までは、オープン記念期間として、格安の料金で劇場及びスタジオを開放いたします。詳細については追って、Web上でお知らせいたします。

 ArtTheater dB神戸では、鑑賞事業に止まらず、様々な階層の人が出会い、遊び、学び、対話できるような劇場を目指したいと思います。
 多様な価値観が交錯する「はらっぱ」のような劇場に、皆様どうぞ足をお運びください。

 

11月1日
2008.11.01


 9月の通信でお知らせいたしました、日野晃氏による身体表現講座「秋塾」が本日11月1日から、神戸新長田にあるアスタくにづか4番館にある仮設スタジオでスタート致しました。この事業は神戸ビエンナーレ2009の1年前プレイベント協賛事業として神戸市の協力及び支援を受け、実施します。
 また、来春に神戸の新長田に「ArtTheater dB神戸」をオープンすることも正式に決定いたしました。新しいスペースはライブハウスだった場所で、照明音響機材も基本的に揃っており、客席等の改造は必要ですが、比較的早い時期にオープンできそうです。キャパも100〜150ぐらいは確保できます。新しい劇場は神戸市及び新長田まちづくり株式会社の協力を得て、運営していく予定です。新長田は大阪からJRで約30分です。震災で大きな被害を受けた地域ですが、NPOの活動も活発で、アジアの人たちも多く生活する魅力的な街です。

  現在の新大阪の事務所及びスタジオは平成21年3月をもって、退去する予定です。当初大阪市は、現行の場所を来年度、大阪市で活動するアートNPOを公募し選考したうえで、平成18年に策定された「大阪市芸術文化創造・観光振興行動計画」に沿って、拠点性をもった事業をおこなうという話もありましたが、現時点では現代芸術振興のためのソフト事業のみおこなう予定ということに後退しています。私達は、都市再生をおこなう上で、芸術文化の果たす役割は都市の創造性を生み出し、魅力のある街づくりにつながるということを信念として、大阪での活動も持続していくつもりです。

  さて、11月14日(金)19時30分より、新大阪Studio dBにおきまして、NPO法人DANCE BOXの今後の活動に関しての説明会と総会を開催いたします。
 今後の活動に関しての様々なご意見をいただきたく、会員の方に限らず、アーティストをはじめDANCE BOXの活動に興味のある方、是非ご参加ください。

 

10月31日
2008.11.01


 街路樹もようやく色づきはじめ、過ごしやすい季節となりました。 約2ヶ月ぶりの近未来通信です。
10月4日から10月25日まで開催したdB Physical Arts Festival 2008「大阪BABA」は、ふたつの実験的な試みをおこなうプロジェクトでした。 ひとつは、コンテンポラリーダンスにとっての普段使用する劇場空間での公演ではなく、オルタナティブな空間を使ったこと。 もうひとつは、日本のコンテンポラリーダンスとアジアのコンテンポラリーダンス、或いは日本の古典芸能とのコラボレーションを試みたことでした。

 前者においては、大阪が大大阪といわれた大正末期から昭和初期にかけて建造された近代建築である細野ビルヂング、フジハラビル、山本能楽堂(昭和25年再建)と10月18日に開通した京阪中之島線のなにわ橋駅に新設された「アートエリアB1」を使用して公演を実施。 近代建築は蓄積してきた時間の重みを感じさせる建物で、アーティストにはその空間性と時間性に対して、どのような表現をすれば身体を拮抗することができるのか、大きな挑戦になりました。技術スタッフも劇場のように照明や音響の設備が整っていない場所で、建物のもつ雰囲気を活かしながら、作品を成立させるために何度も現場に足を運び、様々な工夫をしました。 その結果、それぞれの場所がもつ固有の独自性を活かした作品を、観客は楽しむことができたと思います。
 また、「アートエリアB1」は、2006年、2007年と京阪電車と大阪大学コミュニケーション・デザイン・センターとNPO法人DANCE BOXが協働して、工事現場でアートプロジェクトを開催してきた経緯を経て新設されたアートスペースで、全国初といってもよい駅のなかの<アートと知>の場としてオープンしました。そのオープニング企画として大阪BABAのプログラムが上演されましたが、場所のめずらしさもあいまって連日、満員の観客が来場しました。 劇場ではないオルタナティブな空間を使用することで、普段とは異なる観客層が来場したことは、新しい観客の開拓につながりました。

 さて、後者におきましては、アジアから3名のアーティスト、ジェコ・シオンポ、アジェン・スーライマン(インドネシア)、ピチェ・クランチェン(タイ)を招聘し、ジェコプログラムでは関西を代表するヒップホップアーティストのosamuとのコラボレーションを実施。それぞれの作品に加えて、ふたりの即興セッションをおこないました。 ピチェプログラムでは、観世流能楽師の山本章弘を向かえ、ピチェのソロ作品に続いて、謡曲「隅田川」をテキストに能楽の仕舞を山本章弘が、タイ古典仮面舞踊劇の舞踊家でもあるピチェが独自の解釈の隅田川を競演しました。
 この試みではアジアの舞踊における身体性の共有点(例えば重心の置き方や歩行)を発見することができました。 また、このふたつのプログラムではアフタートークをおこない、アジアと日本のダンスの交流の歴史や、風土と身体表現、古典とコンテンポラリー、今後の共同制作の可能性等、多岐にわたる話が展開されました。

  全体として、コンテンポラリーダンスを中心に古典やヒップホップ、<場>のもつ魅力が融合することで、新しい表現の現場が発生し、そのことが幅広い年齢層の京阪神にとどまらない地方や海外からの観客の参加を得られたことが、成功であったと思います。

 

9月10日
2008.09.20


 9月に入り、朝夕は秋らしく涼しくなってまいりましたが、日中は残暑が厳しい日が続いています。
さて、約2ヶ月振りの近未来通信です。5月17日にスタートした「ダンス寺子屋」は7月13日に終了しました。受講生は少なかったものの各クラスで充実したワークショップが展開されました。現在、今回参加した講師陣を中心に「ダンスワークショップファイル」を映像資料と共に作成しています。ご入用のかたはご一報ください。
また、循環プロジェクトは12月の東京公演に向けたダンスチームの稽古が始まっています。4月のStudio dBでの公演と異なり、劇場空間での舞台となるため、現場に即した構成と新しい振付も加えていっています。同時に来年の4月に予定している第5期エイブルアート・オン・ステージに向けたワークショップの新しい参加者及び、ボランティアも現在募集中です。

  一方、10月1日から10月25日まで開催するdB Physical Arts Festival「大阪BABA」は、大阪が人口も産業的にも東京を上回り、日本最大の都市であった大正末期から昭和初期にかけて建設された近代建築と能楽堂(戦後再建)に加えて10月18日に開通する京阪中之島線の「なにわ橋駅」にできるアートスペースを活用するプロジェクトで、既成の劇場では考えられないような表現が生まれることと思います。アーティストはアジアからピチェ・クランチェン(タイ)、ジェコ・シオンポ等を招聘するとともに、日本からも黒田育世、白井剛等の現在最も注目度の高いアーティストに加え、one-Danceに選ばれた新進アーティスト野田まどか、山田知美も参加します。また、能楽から山本章弘、ヒップホップ界からは関西若手のホープosamuも参加します。
Lマガジンでも特集される予定で、先日も北浜のライオン像のある難波橋で関西の出演者が撮影会に参加しました。是非、「大阪BABA」にご期待ください。

 最後に、大阪市との調停が不調に終わったことは、前回のレポートで報告しましたが、現段階で訴訟を起こすか否かを様々な角度から検討しています。いずれにしても、行政とNPOが協働しておこなった「新世界アーツパーク事業」の成功と挫折を総括し、今後のアートNPOや市民団体が行政と協働していくための問題点を浮き彫りにし、新しい可能性を探っていくつもりです。

  また、11月1日〜9日、神戸の新長田アスタくにずか4番館で「身体表現講座2008 日野晃ワークショップ Real Contact」を開催します。この神戸での試みは今後の拠点を神戸に設けるための第1歩として企画しました。現在、来年の4月に向けて、神戸に新しいdBの拠点となる劇場をつくる予定をたてています。詳細は決定次第、ご案内いたします。また、大阪での活動も継続して事業展開していく予定です。先述の京阪「なにわ橋駅」でのプログラムは来年の3月までは予定が決まっております。将来的に大阪と神戸の2拠点で活動展開できればと考えています。
今後とも、皆様のご指導、ご協力のほど宜しくお願いいたします。

 

7月1日
2008.07.05


 長らく、ご報告ができませんでしたが、久々の近未来通信です。1月に新大阪の元東淀川勤労者センターに移転後、3月8日に同じようにフェスティバルゲートから移転したremoとcocoroomと合同で新しい場所のお披露目会を開催しました。当日はしげやんこと北村成美がしげメイツと共にご祝儀舞。また、フランスから一時帰国していた舞踏家 竹之内淳志も急遽踊ってくれて、大盛況のうちに終了。
打ち上げは会館でお酒は飲んではいけないということで、ソフトドリンクで乾杯。近辺の居酒屋で改めて正式な打ち上げと相成りました。

 Studio dBはとにかく、スタートを切ったわけです。

 3月16日からはウィリアム・フォーサイスカンパニーにも指導している日野晃氏によるdBでの3度目のワークショップを開催しました。武道が基本的に殺し合いの術であることを基本にして、リアルなコンタクトとは何か、間合い、気配の交感等、外部からではなく呼吸や内的な衝動から生まれる動きを身体の理屈から突き詰めるワークショップでした。
ショーケースはスタジオではできないので、江坂のシアターぷらっつで開催。劇団ひまわりの専属シアターであるが、所長の好意で格安に貸してもらうことができる。3回目ということでショーケースのグレードも上がりました。

 3月29、30日は「チルドレンダンスミュージアム」の公演をStudio dBで開催。子供も大人も楽しめる20分〜30分のコンテンポラリーダンスの作品を毎年、2人のコレオグラファーに委託、5年で10作品の制作をめざすプロジェクト。今年は、セレノグラフィカの隅地茉歩さんの「ファスナハト」、千日前青空ダンス倶楽部の紅玉の「人魚とカエルと私」が制作、上演されました。照明設備や舞台設備の条件が整わないStudio dBでの公演でしたが、それでもそれなりの効果が生み出せることを発見する機会になりました。

 昨年10月からスタートした循環プロジェクト「≒2(にあいこーるのじじょう)」は障がいのある人とない人がその境界を超えて、障がいのあるなしを<差異>ではなく独自性ととらえた舞台作品をつくることを目指しました。ダンス、美術、音楽の各ナビゲーターに砂連尾理、川井ミカコ、スカンクという現在、第一線で活躍するアーティストを迎え、参加者の創造力を引き出しながら、4月28、29日にStudio dBで本 番を迎えました。
いわゆる劇場空間ではなく、会議室を中心にロビーや廊下、障がい者用トイレを使った表現になりましたが、制約があることでアイデアが生まれ、斬新な公演になりました。
このプロジェクトは、明治安田生命の社会貢献事業「エイブル・アート・オンステージ」の参加事業として実施されましたが、6月8日に開催された報告会では、「コラボシアターフェスティバル」への選出が告知され、今年12月の東京公演が決定しました。

 6月13、14、20、21日には「新!大阪ダンスサーカス」を開催。新旧20組のアーティストが参加しました。テクニカルは全てdBのスタッフが担当し、客席づくりもアーティストが一緒にするという手作り感、満載の舞台になりました。
1996年にDANCE BOXをスタートさせた時に、集客のために1ステージと2ステージの間に繁華街でデモンストレーションをしましたが、アーティストとdBスタッフが協働して環境を生み出そうとしてきたことを思い出すよい機会になりました。

 5月17日から大阪市の現代芸術創造事業としてスタートしたダンス寺子屋は、様々なジャンルのダンスを横断する総合的な学校で、初心者から経験者までが能力に応じて研修できる場になりました。広報の遅れや、新しい場所ということもあって、参加者の数は多くはありませんが、講師の熱心な指導で徐々に受講生も増えてきました。このプロジェクトはいったん7月13日で終了しますが、今回の講師陣を中心にダンスワークショップのデーターファイルを作成し、教育機関等に配布する予定です。

 また、今後の元東淀川勤労者センターでの活動ですが、4月8日の大阪市との会議で今年度の覚書のなかで平成21年3月をもって打ちきりとの通達が大阪市からありました。
昨年東淀川に移転する前は「3NPO限定ではないが、東淀川か或いは他の場所で、一般公募をしてアートセンター的なものに発展させる考え方がある。」といっていたが、その方針がなぜ変更されたのか。文化施策としてどう考えるのかということを問いただしましたが、現時点では次への展開は考えられていなく、その手前の内部の諸問題を解決しようとしているところであるとの返答でした。また、3NPOの活動は国内外でも高い評価を得てきたが、その専門性やネットワークを大阪市の文化施策として活かしていく考えはないのかという問いに関して、大阪市としては2005年まではパートナーとしての考え方があったが、2006年以降は支援先という考え方であるとの返答でした。
いずれにしても、積極的に前向きの方向性が得られず、拠点としての新しい場所の獲得を早急に考えていこうと思います。

一方、昨年から大阪市に対して、ダンスボックスがフェスティバルゲートで大阪市の「芸術文化アクションプラン」に基づいて、初期投資したお金等に関しての補償について調停を申し立てていましたが、4月、結局0回答で調停不成立に終わりました。現在、訴訟に向けて準備中ですが、前を向いた訴訟にできればと思っています。

 
 

1月15日
20080.1.16


 ようやく、冬らしい寒い日が続くようになりましたが、皆様、いかがお過ごしでしょうか。昨年12月は3月、8月と取り組んできたタイのピチェ・クランチェンのプロジェクト「テーパノン」の仕上げとして、沖縄県立美術館と島根県の益田にあるグラントア(島根県芸術文化センター)で、公演を軸にシンポジウム、ワークショップ等を開催しました。最後は大阪でテーパノンの参加メンバーに加え、タイと横浜で「cough/せき」を制作上演した山下残、韓国でキム・ウォンのプロジェクトに参加した黒子さなえ、きたまり等を向かえシンポジウム「アジアから国際共同制作の可能性を考える」を開催し、約3週間にわたるツアーを締めくくりました。従来の「アジア」という枠組みでは語れない重層的で多様な、混沌としたアジアを考えるよい機会になりました。

 さて、大阪でのシンポジウム(26日)を終えた翌々日にあわただしく、フェスティバルゲートから新大阪の元東淀川勤労者センターに引越ししました。スタッフがお世話になった新世界の人たちに挨拶まわりをしましたが、みなさんから残念だという声や、激励の言葉をいただき、いつか新世界に帰るぞという思いが沸々と湧いてきました。
 明けて、1月8日には新大阪の地元の人への挨拶まわり。元東淀川勤労者センターのある地域は、かつて暴力団やオウムの問題があったエリアでひったくりも多いところだから、にぎやかになってよいと歓迎ムード。新世界に比べると街の表情に乏しい感じがするが、徐々にいろんなものを発見していければと思います。

 さて、ここでのプロジェクトは劇場機能がないことを前提として考えなければならないので、当面、ワークショップをするスタジオやシンポジウム、セミナー等で組み立てていく予定です。また、会員の方にはスタジオとして使用していただけますので、ご連絡ください。公演の上演に関しては、他の劇場を借りることで実施していく予定ですが、同時に独自の劇場を開場できる場所を探していきます。大阪でよい情報があればご一報ください。宜しくお願いいたします。

 
 

11月23日
2007.11.25


 前回のご報告から、2ヶ月近くが経ちました。この間大阪市との話し合いは5回もたれ、ようやく方向性がみえてきました。

 結果から申し上げますと、新世界アーツパーク事業を担ってきたDANCE BOX、cocoroom、remoの3NPOは11月20日に、平成19年12月末をもってフェスティバルゲートを撤退することに同意しました。また、大阪市から提示された平成21年3月までの暫定的な活動場所に移転することにも、一応同意しました。この暫定期間における私たちの置かれている立場は、現在までの新世界アーツパーク事業に対する評価により活動場所を提供してもらうということですが、公設置民営により、現代芸術を発展させていくという拠点性はなくなりました。ほんとうに暫定的な措置ということです。

 暫定場所に関して私たち3NPOが希望していた条件。
@・3NPOが同じ建物か近隣で活動できること。
A・現在まで地域と関わる事業を展開してきたことから、浪速区近辺であること。
B・劇場として使用できる空間があること。

の3つの条件を出してきました。結果的には@の条件のみ、満たされたことになりました。
Bの劇場に関しては、会議室を提供されましたが、前回ご報告したように改装費用は少なくとも今年度は出せないということでした。それを受けてDANCE BOXとしては現在のArt Theater dBに投資した改装費のうち、本来10年で返済する予定であった借金の残額とともに、新しい場所での改装費に関しても補償してほしいとの旨を「調停案」として大阪簡易裁判所に申し立てました。

 しかし、調停を申し立てたことで、大阪市からは新しい場所でDANCE BOXが劇場を運営していく話は凍結されました。そのような状態でも事務所やスタジオとしてワークショップやシンポジウムなどで会議室は使えると考え、提示された条件について再考しました。

 提示された条件は、家賃は大阪市が負担、水道光熱費は共用部分も含めて各NPOが負担するというものでした。当初は保守点検、機械警備、空調点検等もNPO負担と言われましたが、これらに関しては大阪市が負担することになりました。水道光熱費は年間、約450万円程度。これらを3NPOで負担できるかどうかを、検討してきましたが、大阪を活動の拠点として考え、大阪の芸術文化の未来を考えた時に、リスクを負ってでも暫定的な場所で活動を展開していこうという結果にいたりました。

  11月22日の大阪市との会議のなかで、3NPOの合意のもと、新しい場所へ移転する旨を伝えようとしましたが、DANCE BOXに関しては調停中という理由から、事務所機能以外はワークショップやシンポジウムもしてはいけないとのことを伝えられました。それでは、移転する意味がなくなります。しかも、3NPOのうちひとつでも抜けると、残ったNPOの経費負担が1/3から1/2になってしまい、成り立たなくなってしまいます。そこで、DANCE BOXとしては調停案の内、Art Theater dBに初期投資した分以外は、除外することにしました。

 劇場機能をもたない場での活動になりますが、インキュベーションとしてできることを考えていこうと思います。一方で、拠点としての劇場は私たちの活動にとって必要不可欠なものと考えます。こちらは、継続して民間の場所を借りるか買うことも含めて推し進めていきたいと思っています。

 私たちが現在置かれている状況は、計らずも日本が抱えている芸術文化の状況を照らし出していると考えます。芸術文化が社会にとって、本当に必要か否かは芸術に関わってきた人間にとっては明白です。いつの時代も新しい芸術は苦難のプロセスを背負って、現在に至っています。市民の理解をどう形成していけるのか、政治や経済にとって、芸術がどれほどの効力をもつのか、それは近い未来に日本という国が世界のなかで、新しいアイデンティティをどう形成していけるのかということと密接に関連しています。あるいは、大阪という都市が再びオリジナリティのある、豊かで暮らしやすい街になることは可能なのか。

 私たちの活動の継続は、そのような今日的な問題の渦中にあると思っています。

 
 

10月2日(火)
2007.10.03


 10月2日から事務所のある3階へいくエレベーター3基のうち2基が止まりました。一般の駐車場も閉鎖され、いよいよさみしくなってきました。

さて、9月中の都市創造プロモーション本部との話あいは結局、9月4日にもたれただけでした。この会議で大阪市は提示した暫定的な活動場所について、3NPOの事務所機能に関しては、電気容量も含め確保できる見通しを立てました。一方、劇場に関して以前は集会所として使用されていたので、用途変更が建築基本法にのっとって必要であることから、私たちが希望する11月のオープンは難しいと言われました。用途変更に3から5週間かかるからとの理由でしたが、それならば9月中に申請できれば、11月オープンは可能ではないですかと申し上げたのですが、改装費用のメドが立っていないとの答えでした。そうなると、いつメドがたつのか、わからないことになってしまいます。そこで仮に私たちが改装費用を負担すれば、改装は可能か調べてもらうようにお願いしました。その後、何度か会議が流れ、現在まで開かれていません。
また、担当部署のゆとりとみどりの振興局文化課の担当者の方も9月末に配置換えになりました。

遅々として交渉が進まないなか、私たちは大阪市と交渉を継続しながら、民間の場所を借りて劇場をつくることも考えていかなければならないと思っています。倉庫を中心に大阪市内の様々な物件を探していますが、残念ながら広さ、立地、家賃すべての面で適当な場所は見つかっていません。
もし、新しいArt Theater dBをつくる場所として適当な物件をご存知の方は是非、お知らせください。
探している条件は以下のとおりです。

地域:大阪市内(浪速区、天王寺区などディープサウスのエリアがベスト)
アクセス:最寄の駅から徒歩10分以内
スペース:劇場部分110u以上(舞台部分→間口8m×奥行7.2m×高さ4m)
事務所及び楽屋、倉庫部分100u程度
カフェ部分 50u程度
以上ですが、この条件は理想に近いものですので、少々の差異はあっても工夫していけると考えています。

さて、私たちは移転先が決まらないので、しばらくはフェスティバルゲートの3階にいることになっています。スタッフ一同、相変わらず元気で活動しておりますので、お近くに来られる折は是非、お立ち寄りください。

 

 
 

8月31日(金)
2007.08.31


 7月31日のお別れ会の後、現在、私たちが何処にいるのかというと、まだフェスティバルゲートの3階の事務所で仕事をしています。当面は8月中に2階に移動ということでしたが、移動に関して掛かる経費(電話回線の移設費、空調等の清掃費等)が、無駄ではないかという意見が大阪市のほうで出て、現在も3階の以前の場所にいます。

 候補となっている移転先には、何度か見学に行き、劇場として改装可能かどうかを、現在のArt Theater dBの比較しながら考えました。100%、現在の劇場のようにすることは難しいのは、ひとつめは高さの問題があります。現在は床から天井まで3m77cm、移転先は天井を破って、床をつくって3m45cm。照明的にはかなりきつくなると思います。また従来、会議室として使用されていた空間ですので、電気の容量が一般家庭並みで、容量を増やす必要があります。
その他、防音、床、バトンの設置、客席など工事が必要な箇所がいくつかあります。現在のArt Theater dBに近づくのは100%は無理でも、70%程度は近づきたいと思っています。
改装工事をはじめ移転にともなってかかる費用等について、都市創造プロモーション本部と話しあっています。

 一方で、都市創造プロモーション本部とコンセンサスをとりながら、DANCE BOXがArt Theater dBをつくるにあたって投資した費用の未回収分に関しての補償問題を調停に持ち込む中で話しあっていこうと思っています。調停に持ち込むと、大阪市と係争している団体になり、現在進行中の新しい場所へ話し合いが中断するのではないかという危惧もありましたが、弁護士と話し合うなかでそのようなことはありえないという結論に達し、9月初めには申し立てをする予定です。

  私たちが一番大事にしていきたいことは、大阪市とパートナーシップをもちながら、アートが真実、社会にとって必要なものであると多くの市民が認識できる(楽しめる)状況をつくっていくことにあります。そのためには、行政の人間であれ、企業の人であれ、アーティストであれ、なによりも名のない市民あるいは市民とも呼ばれない人たちと協働して、環境を変えていく必要があると思っています。既存の制度、価値観に疑問、問題はたくさんあります。様々な立場にあるひとが、その立場を認識しながらその立場を超えて、新しい豊かな社会をつくることに向かっていくことが、現代社会の抱える問題をひとつずつ解決していくことにつながると信じています。私たちが現在おかれている状況は、その 実験の場でもあるのかと思っています。

 DANCE BOXの今後の行く末は、まだまだ曖昧さと付き合っていかなければなりませんが、新しいことを起こして行くことは、常にそういった状況に身をおきながら、創造力を発揮していくことでしか解決していかないことだと思います。

 
 

7月31日(火)
2007.08.02


7月31日(火)
フェスティバルゲートでのArt Theater dB、最後のお別れ会を開催した。

 13時から、これまでに様々なかたちで関わっていただいた方たちが、Art Theater dB最後の日を惜しむように集まった。夕方までは、ここ2年の間に生まれた赤ちゃんを連れてきたアーティストも多く、微笑ましい光景が広がった。
 18時過ぎから、2002年10月にこの劇場がオープンして以来、現在まで開催された様々な公演や事業を編集した映像を上映した。1カット短いもので15秒、長くても1分程度で編集したものだが、それでも50分近いものになってしまった。編集の段階では、あの人も入れたい、この人も・・・と思いながら作業をしたが、全ての人を入れ込むことはできず、編集から漏れてしまった人はごめんなさい。
 19時過ぎから、現状報告会。2002年のオープンから、フェスティバルゲートを撤退しなければならなくなった現在への経緯について報告した。

 現時点での状況を報告すると、5月29日に発表された大阪市長のコメントをもとに、大阪市都市創造プロモーション本部が私たちの暫定的に活動できる場所を探し、1ヶ所、候補が見つかった。私たち3NPO(dB,remo,cocoroom)が候補場所を探してもらう際にお願いした条件は、主として@3NPOが同じ施設内か、近隣で活動できる場所、Aエリアとしては浪速区が望ましいこと。(現在まで地域と連動してきた事業があるため)、B現在活動していることが、改装することも含めて継続してできる施設があること。(dBにおいては劇場機能があること。)―――――の3つであった。現在、挙がっている候補場所は@とBの条件は、ほぼ満たしているがAに関しては、異なるエリアになっている。また、移転する場合の条件、要望、及び今後相談していきたい課題について、都市創造プロモーション本部と現在、調整している段階である。
 また、8月1日以降の当面の活動場所は、フェスティバルゲート2階に移動して(8月1日からではなく、8月中に移動の予定)事務作業はできる予定である。もし、8月中に移転できない場合は、10月まで事務所はフェスティバルゲート内におけるということになった。今後、週1回のペースで都市創造プロモーション本部と会議をもち、細部にいたるまでの調整をおこなっていく予定である。

 さて、現状報告会の後は、参加者のひとりひとりに、Art Theater dBについて現在思っていること、今後の事などを話してもらった。この劇場がなくなることに関して残念な思いも語られたが、新しい展開への希望的な意見が多く、私たちも大きな力をいただいた。
 最後は、DANCE BOXらしく、2006年度のone-Danceに選ばれた野田まどかさんや、山田知美さん、また、今貂子さん他、数組のダンスや大駱駝艦からのビデオレターが上演され、Art Theater dBの最後の夜を彩った。
 また、この日の企画のひとつとして実施された「一語一会」は、劇場の扉にメッセージを書いてもらうというものであったが、最後にはすき間のないくらい多くの言葉で埋められた。この日の参加者は200名を越え、私たちは200の熱い思いをいただいたと思っている。また、当日参加できなかった人からもたくさんのメールや電話をいただいた。この思いを必ず、次の劇場に繋げていきたいと思っている。
 みなさん、本当にありがとうございました。

※当日、記念品として、たくさんのアーティストがその上で踊ったリノリウムの断片をお配りしました。来場できなかった方で、もらっていただける方は事務所までお越しください。。

 

 
 

 

 
   

7月11日(水)
2007.07.11


 先日、三日間にわたり開催されたDance Circus 39が終了いたしました。
一応、7月末でフェスティバルゲートが閉鎖することになるので、Art Theater dBでのCIRCUSは最後になります。現在まで述べ約500組のアーティストがこのプログラムで作品を発表してきました。ここで作品を発表しながら、成長して、世界に向けて育っていったアーティストも多いですし、アーティスト同士が出会う場所としても機能してきたように思います。残念ながら、9月のDANCE CIRCUS40は次の劇場の状況がみえない現在、延期することになりましたが、可能な限り早い時期に再開したいと考えています。

現在、大阪市の都市創造プロモーション本部の人と今後の活動場所について、当面(8月以降)と暫定(8月或いは、秋ごろから2〜3年)という期間を設定しながら、話合っている状況です。私たちとしては遅くとも、11月頃開催予定のDANCE BOX SELECTIONまでには、使える場所を確保したいと思っています。プロモーション本部でも、現在、候補となる場所を探してくれています。とにかく早く、目鼻がつけばよいのですが・・。進捗状況については、随時、ご報告していきます。


<<お知らせ>>
2007年度はこれまで年二回開催されていたDance Box Selectionを年一回開催とし、秋ごろに開催を予定しております。選考の対象となるアーティストはDance Circus 36〜Dance Circus 39に出演したアーティストの中からの6組となります。
対象となるDance Circusが全て終了いたしましたので近日、選考アーティストを発表いたします。
乞うご期待下さい。

 
   

DANCE BOX現状報告会
2007.06.26


6月21日(木)19:00〜 於:Art Theater dB
「DANCE BOX及び新世界アーツパーク現状報告会」が開催された。参加者は会員、アーティスト、報道関係、ボランティア等、約20名。
まず、NPO法人DANCE BOXの代表、大谷 燠から1996年の設立から2002年のフェスティバルゲートの移転、Art Theater dBの開設から現在までの経緯が語られた。

―以下、要約―

フェスティバルゲートは1997年、大阪市と3つの信託銀行による信託事業としてスタート。開設当初、都市型アミューズメント施設として注目を浴びたが、USJの開園等の影響もあり、年毎にテナントは減少していくなか、2002年、大阪市の「芸術文化アクションプラン」に基づく新世界アーツパーク事業の一環としてDANCE BOXも他の2NPO(remo,BI)と共に招聘された。2004年にcocoroomがNPO法人化され4NPO体制が確立された。
各NPOはそれぞれが専門とする芸術分野の活発に展開するとともに、ネットワークを広げ、また新世界や日本橋電気屋街など隣接する地域とも協力しながら、地域のアートによる活性化にも努めてきた。

そのようななか、2005年に大阪市ゆとりとみどりの振興局文化振興課から、移転も含めて今後の展開を考えてほしいという打診があったが、適切な場所がない、また地域と連動してきた事業を途中で投げ出すことが地域の人たちにとって申し訳がたたないとの理由から、フェスティバルゲートでの活動の継続を伝えた。

その後4NPOで新世界アーツパーク未来計画実行委員会を結成。4回のシンポジウムを開催するなかでフェスティバルゲートの再生計画をシュミレーションした。この再生計画はフェスティバルゲートを<アート><コミュニティ><パブリック><ビジネス>の4つのフェーズで構成する市民参加型モールとして発想し「新世界ヒルズ(仮)」として公表した。また、このシンポジウムには地域の人、文化政策、文化経済に関わる学者、アーティスト等たくさんの人が参加し、フェスティバルゲート問題が市民の側から話される機会となった。2006年8月、シンポジウムで出た意見をもとに「ビッグ盆!」を開催。地域、企業、自治体との協力体制のもと42年ぶりに新世界の盆踊りを復活させた。

ところが、平成19年1月10日付けで大阪市(ゆとりとみどりの振興局)から平成19年7月31日までに退去するようにという要求が出された。一方、同じく今年1月にフェスティバルゲートの暫定的公共利用案に関するコンペが発表された。DANCE BOXも新世界アーツパーク未来計画の一員として地域の人をはじめ、様々なNPO,有識者と対話を重ね、アートとソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)を軸においた創造的公共事業モデル創出事業として応募した。5月29日に審査結果が発表され、応募した5団体のなかでは最高点をもらったが、残念ながら落選した。(審査結果

ただ、その直後に關大阪市長からコメントが発表され、創造都市戦略を進める大阪市にとって私たちNPOの活動は評価に値すること、また暫定的な活動の場所の確保に関して市としてバックアップすることが明言された。現在は、大阪市都市創造プロモーション本部で新しい活動場所となる遊休施設を調査中。

また、参加者から、質問や協力の方法についての熱い意見も出された。
今後の展開としては、6月下旬から7月初旬にかけて大阪市(経営企画室、ゆとりとみどりの振興局、交通局)と協議の予定。

この日、行なわれた質疑応答を現在、文字起こししております。
出来上がり次第アップいたしますのでしばらくお待ち下さい。


市長コメント

フェスティバルゲートにつきましては、本年1月より公共利用案提案競技を実施しておりましたが、本日、外部有識者で構成する審査委員会から、「第一次 審査を通過する提案がない」旨の「審査結果報告書」を受理し、本提案競技を終了することとなりました。
大変お忙しい中、公共利用案の選定に向けて真摯なご議論をいただいた委員の皆様及び意欲的な公共利用案を提出していただいた応募者の方々に改めて御礼 を申し上げます。
応募いただいた公共利用案については、残念ながら施設活用方法としては採用に至らなかったため、今後のフェスティバルゲートの最終的なあり方につきましては、本年7月中に決定してまいります。
なお、現在、フェスティバルゲートを拠点として行われているNPOの創造的な活動を継続して発展させていくことは、本市にとって重要であると評価しており、創造都市戦略の推進に向けて設置している「都市創造・プロモーション本部」でその発展方策について検討させることとします。
また、この検討にあたっては、今回いただいた提案のうち今後、活用できる部分については、改めてお聞きしていきたいと考えております。
さらに、それまでの間、必要であれば活動拠点について暫定的に移転先の斡旋も検討していきたいと考えております。

平成19年5月29日
大阪市長 關 淳一


コンペ申請書ダウンロード(PDFデータ 2.3MB)
http://arts-npo.org/img/anf2006/newfestivalgate_ver1_mini.pdf

フェスティバルゲート公共利用案提案競技」の審査結果(PDFデータ)
http://www.kotsu.city.osaka.jp/news/houdouhappyou/19/pdf/070529.pdf

log osaka 新世界アーツパーク 未来計画
http://www.log-osaka.jp/article/index.html?aid=238

読売新聞 6月19日
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20070619p102.htm


ダンスボックス関連告知
“Art Theater dB” Final day 「Art Theater dBお別れ会」
2007年7月31日(火)13時〜23時

2002年10月にオープンして以来4年10ヶ月。関西をはじめとする国内外の数多くのアーティストが豊かな表現を生み出し続け、そして沢山のお客様に愛されたArt Theater dBが7月31日をもって閉館します。
その最後の日を、皆様にゆっくりお過ごしいただきたく、お昼から夜まで開場致しますので、ご都合のつく時間にご来場いただき、さまざまな思い出をめぐらせてください。
飲食物、ダンス、音楽等、なんでも持ち込みOKです。カフェも営業します。
DANCE BOX 11年目のまた新たな旅立ちです。

 
   

若葉青葉の候
2007.06.03


皆様におきましてはご健勝でお過ごしのことと存じます。
さて、すでに新聞報道等でご存知のことと存じますが、フェスティバルゲートが今年7月31日をもって閉鎖されることとなりました。それにともないDANCE BOXも、フェスティバルゲートでの活動を終了せざるを得ないこととなりました。

DANCE BOXは2002年にNPO法人化し、大阪市との協力関係のもとフェスティバルゲート内に「Art Theater dB」を開設。コンテンポラリーダンスを中心とした舞台芸術の拠点として、アーティストの育成事業、国際交流、ワークショップ、地域に対するコミュニティ事業等、多岐にわたる活動を展開してきました。
私たちの活動は当初、2001年3月に策定された「大阪市芸術文化アクションプラン」のもと、10年間継続する予定でしたが、計画半ばにして中断することになりました。不条理なことと思う一方で、大阪市が今年1月に公募いたしましたフェスティバルゲートの暫定的公共利用案のコンペに、アーツパーク事業をともに担ってきたremo及びcocoroomと共に応募いたしました。

私たちの提案「アート&ソーシャルインクルージョン〜創造的公共事業モデル創出事業」は、アートのもつ潜在的な力や特質を活かし、人と人をつなぎ、地域と協働することでみえてきたソーシャルインクルージョン(社会的包摂)をアートとの2本柱で実現するという内容でした。
結果は応募5団体のうち、最高点をいただきましたが、基準点に達せず2次審査に進むことが出来ませんでした。

審査結果の後に市長から、フェスティバルゲートで活動してきた私たちNPOに関して、その活動を継続していくことが市にとっても重要であり、創造都市の推進に向けて設置している「都市創造・プロモーション本部」で今後のことを検討するとのコメントが発表されました。また、「さらに、それまでの間、必要であれば活動拠点について暫定的に移転先の斡旋も検討していきたいと考えております。」とのコメントもあり、私たちとしても大阪市との協働関係を保ちながら、出来るだけ早い時期に新しい拠点となる劇場をつくりたいと考えています。現在まで、お世話になった地域の人たちのことを考えると、出来る限り、新世界、日本橋に近い地域での活動の継続を願っています。

しばらくの間、アーティストを始め、関係各位の皆さまにはご迷惑をお掛けするかと存じますが、ご理解の程宜しくお願いいたします。

2007年6月8日
NPO法人 DANCE BOX
代表理事 大谷燠
スタッフ一同

参考資料01
読売新聞 2007年05月27日
http://osaka.yomiuri.co.jp/tokusyu/kaikaku/oc70527a.htm

参考資料02
毎日新聞 2007年5月30日
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/osaka/archive/news/2007/05/30/20070530ddlk27010563000c.html

 
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