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国内ダンス留学@神戸 6期振付家インタビューVol. 5余越保子 | BLOG | NPO DANCE BOX

2017.6.1

国内ダンス留学@神戸 6期振付家インタビューVol. 5余越保子

写真:Ian Douglas

「あなたが友達にメールしたいちばん長いテキストを見せてください。」
このテキストは2011年ダンスボックス主催の<余越保子×高校生ダンスプロジェクト>※1第一弾を新長田で行った際、第1回目のリハーサルに入る前に高校生達に投げかけられたものです。

このテキストへと辿り着くまでに、2年程の時間がかかったように記憶しています。教育現場におけるこれまでの確固たる歴史としがらみ、教育現場において教育とはある意味で真逆のベクトルをもつ芸術を扱うこと、ダンスの捉え方の異なりと、さぁどうしてこのプロジェクトを進めていけるのか、ダンスボックス事務所で、余越さんの滞在先の宿で、延々と作戦会議を重ねました。余越さんと共に高校の顧問の先生に何度も会いに行きもしました。そうした過程を経て、神戸野田高校の創作ダンス部の3年生2名と、芦屋高校のダンス部の3年生4名の参加を得ることができ、冒頭のテキストへと繋がります。

そうして、このプロジェクトのお披露目公演を高校の先生方に呼びかける、余越さんによる手紙が見つかりました。この手紙には、余越さんのダンス観、ダンス教育についての考えが鮮やかに余すところなく書かれています。改めてこの手紙を読み返し、ダンス/ダンス教育に対する考えは変わっていないと聞き、この度、インタビュー記事の代わりに当時の手紙の抜粋を公開することにしました。

6年前のこのプロジェクトに参加した高校生の中には、「国内ダンス留学@神戸」5期生の池上たっくん、米澤百奈がいました。彼らは、5期を卒業した後も日本のコンテンポラリーダンスの世界で精力的に活動し始めています。

それでは、手紙の抜粋へと繋げていきたと思います。特にダンスをつくりたいと考えている方、踊りたい方、ダンスで生きていきたいと考えておられる方に是非読んで頂きたいと思います。(横堀)

※1 <余越保子×高校生ダンスプロジェクト>
2009年4月、ダンスボックスが拠点を神戸に移したばかりの際に、兵庫県下で盛んに繰り広げられている高校生による創作ダンスに出会い、彼らの力強いダンスに新たな可能性を感じました。同年8月に当時NY拠点であった余越保子による高校生対象のWSが神戸野田高等学校で実現し、高校生とダンスをつくることを志向したプロジェクトを立ち上げました。2011年2月20日にお披露目の会をArtTheater dB神戸で実施。このプロジェクトはその後、福島県立いわき総合高校の高校生と行い、2012年3月31日にダンス・ショーイングをいわき芸術文化交流館アリオスで行いました。

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<余越保子×高校生ダンスプロジェクト>
高校ダンス部顧問の先生方への手紙(抜粋)

(前略)・・・2008年にアメリカのバーモント州の高校生と2年の歳月をかけて60分のダンス作品を制作し、ニューヨークで発表しました。
・・・(中略)・・・
アメリカでの高校生とのダンスプロジェクトは、思いがけず私の人生に大きな影響を与える作品となりました。このプロジェクトに関わって以来、私は「良いダンスって一体何だろう?」と自分に厳しく問うようになりました。

私にとって、ダンスとは、とても曖昧な、時空の中にだけ存在する、不思議な捉えどころのないものです。人間が踊ることで生まれてくる言葉では説明のつかない、美しい、絶妙なバランスに保たれた、そしていきいきとした人間の存在感。その存在をときに明確に、ときに大胆に、そして、どこまでも繊細にアレンジし、様々な濃淡をつける ー それが自分の振付だ、と私は信じています。

写真:Ayumi Tamaki

ダンスを踊ることで、舞台に何かが立ち上がる、その瞬間が舞台の醍醐味であり、その瞬間をより濃密に生み出せるように、ダンスを真剣に作ってきました。見る人によりさまざまに違って見える何か、ダンスという変化自在の表現方法の素晴らしさだと思います。

日本は踊りがとても盛んな国です。芸事を好む人が多く「踊りのお稽古」(ダンスのレッスン)というかたちで多くの人はダンスを楽しんでいます。スポーツジムではダンスクラスは大変な盛況であると聞きました。日本に帰国しテレビを見る度に踊りを踊る人、それを見て楽しむ人の多さに驚かされます。

・・・(中略)・・・

欧米のコンテンポラリーダンス界では身体能力、表現力、創造力に優れた日本人ダンサーがたくさん活躍しています。しかし、プロの日本人ダンサーの数に比例して振付家の数はとても少ないようです。

日本には踊ルヒトがこんなに多いのに作ルヒトが 少ないのはなぜか?

お金がないからモノが作れない。当然の理由ですが、本当にそれだけが理由なのでしょうか?

日本の独特な『踊り好き』の文化と伝統に由来する何らかの特殊な環境要因があるのでしょうか?

日本は独舞が盛んです。群舞は一緒に揃って踊ることを基本形とします。芸事には真似事という学び方があり、師の芸を盗んでいく継承という伝統があります。これらは西洋のダンス文化の発展とは少し異なります。みなさんもご存知の通り、ダンスを踊るのは楽しいですがダンス作品を創作するのは大変むずかしい。

歌舞伎舞踊の天才振付家、六世藤間勘十郎が言った言葉があります。
『芸は一代で終わる』
後世に踊りの技術を伝えることは出来ても、踊りの芸術性、つまり振付の能力は継承できないという意味です。

写真:Louise Hannon

ダンス作品を作るときにはかならず選択と決定をせまられます。無数の動きの選択肢の中から動きを選んで決定しなくてはなりません。そこに至るにはさまざまなプロセスがありますが、それはどこか雨乞いに似ています。学問や知識やノウハウが関係ないところでものごとは選び、選ばれ、ときに停滞し、前に進み、理論では簡単に説明できないプロセスを経てダンスは生まれます。そのプロセスの運営能力を人は才能と呼んだり、運と呼んだり、奇跡と呼んだり、天才というタイトルをつけたりします。

では、創造力や感性を育む環境とはどんなものか?
日本に独自の文化と伝統があります。ならばこの国に適したダンス教育とは一体何なのでしょう?

これらは考えれば考えるほど複雑な問いです。
文化、宗教、政治にまで関わってくる課題だからです。
もちろん明確な答などありません。
でも問うこと自体は大切なことだと思います。

・・・(中略)・・・

ニューヨークのコンテンポラリーダンス界は大変に厳しい世界です。決して若い人にすすめられるような職業ではありません。生活も大変苦しい。・・・私はさまざまな葛藤や不安を抱え悩みながらダンスに立ちあっています。どんなにチケットが売れても、新聞批評が素晴らしくとも、大きな賞をいただいても、不安や葛藤が消え去ることはありません。

私はニューヨークでダンスを踊ったり制作発表することで、沢山のダンサーや振付家と出会ってきました。素晴らしい作品にたくさん出会えたし、卓越した舞踊家の舞台を数々見てきました。素晴らしい踊りを鑑賞できることは人生の贅沢のひとつです。それと同じくらい実りの多いことは、そういった人達と話が出来たことです。

ダンスを通して生まれる会話。
アメリカで高校生達と作品制作に携わったときに強く思いました。有名とか才能があるとか関係なく、ダンスが大好きな人と話をすることはいつも何かを気づかせてくれます。

ダンスボックスという素晴らしく柔軟性のある芸術志向の高い劇場スペースに関西のダンス教育の関係者が集まって『ダンス』について語るということはダンス制作よりも大切なことかもしれません。
・・・(後略)

余越保子
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