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【公演レビュー】10/22上演『SEARCH PARTY』(竹田真理) | BLOG | NPO DANCE BOX

2020.1.11

【公演レビュー】10/22上演『SEARCH PARTY』(竹田真理)

REVIEW

シカゴにあるリンクスホールと神戸・新長田のダンスボックスが相互にアーティストを派遣/招聘し、滞在制作を行うエクスチェンジ(交換)プログラム。リンクスホールからの推薦で来日した振付家のエリン・キルマレイと3名のダンサー(アリッサ・グレゴリー、ティア・モネ・グリアー、ケイトリン・ウェブスター)が、神戸の3名のダンサー(いはらみく、中間アヤカ、松本鈴香)と共同してダンス公演を行った。日米とも女性ばかりのダンサーたちにDJの江南泰佐が加わり、シカゴで作られた作品のオリジナルを新たに新長田バージョンとして作り上演する。作品はスポーツとダンスを融合し、対戦や競争、激励や慰め、抵抗や勝利などのシチュエーションを様々なスポーツのモチーフを通して描き出していくもので、タフでワイルドで、ちょっとワルで、愛おしく誇り高い女性たちの身体、感情、経験、情熱、関係性の発露となる。江南の選曲によるルーツ・ミュージックが流れる会場の雰囲気はナイトクラブそのまま。そこにスポーツアリーナとダンスフロアの設定を重ね、対戦とゲームとダンスと音楽の終わりないパーティが繰り広げられる。

シカゴから来た振付家とダンサーたちはそれぞれ異なる人種のルーツを持ち、体格もさまざまで、自身や相手の身体性を尊重しあう開かれたダンスコミュニティの背景を感じさせる。神戸勢の3人もダンスの出自やキャリアを異にし、かつ、いずれもスキルに秀で、明確な個性をもったダンサーだが、シカゴ勢とともにステージに上がると華奢で儚げな身体性が印象づけられる。体格も身体性もバックグラウンドも、ベースとするダンスコミュニティも異なるアーティストたちが、ダンス・メソッドやテクニックの共通言語を敢えて用いず、差異を抱えながら協働する点が本作におけるチャレンジであっただろう。下町芸術祭のプログラムでもあった本作のアーティストたちは、芸術祭を通して人々と交流してきたという。振付家のキルマレイは、これまで劇場などフォーマルな場所、或いはキャバレーなどイレギュラーな場所で、その場所の文脈に即して上演してきた『SEARCH PARTY』を、ここ新長田でも、地域に固有の文脈や共演者、会場の状態などに配慮しながら制作することに努めたと話す(終演後の筆者による短いインタビューより)。移民や性的少数者への排除の力学のはたらくアメリカ社会で、ダンサー自身も緊張を抱えながら客席と舞台の融合を試みてきた作品は、ダンスの外部であるスポーツのモチーフを通して、多様で異なる人々や文脈間の協働を可能にしようとする。

客席が周囲をコの字に囲む舞台で、アクティングエリアとの境界にダンサー自身がテープを貼っている。テープの囲むエリアは格闘技のリングを思わせ、一隅にダンサーたちがスタンバイし、音楽にのって身体を揺らす。ダンサーたちは脇にラインのはいったパンツやパーカーなど、スポーツの要素の入ったラフな服を身に着け、本番を前に‟Get wild!”、さあ、盛り上がろう、と鼓舞し合っている様子だ。6人は二手に分かれ、ブザーが鳴ると一人ずつリングに入り、ラフに動く。リング外から発する「Go!」「Hey!」の声。ブザーの鳴るたびにランダムにエリアに出てきては、ざっくり動いて去るダンサーたち。中間アヤカと松本鈴香がくるくると回転しエリアを巡る様子は、まだ対戦というより二匹の蝶の戯れに見える。そうする最中にもエリアの対角線に沿ってやはりダンサー自身によりテープが貼られ、やがてこの線を挟んでティア・モネ・グリアーといはらみくの対峙がクローズアップされる。

いはらとティアは身体を斜に構えて向かい合い、両腕を前後にスイングさせながら、互いを煽り立てるように体を揺らす。バトルでもダンスでもあるようなデュエットに両陣営からはやし立てる声が飛ぶ。高まるエキサイティングな雰囲気にたまらず松本が加わるが、陣営の仲間にたしなめられリング外に出るといった演出がリアルだ。いはらとティアはそれぞれ自分のコーナーで激励を受け、再びリングへ戻ってスイング。動きはダンスだが設定はボクシングの試合を思わせる。だが、あるところで、いはらは相手のティアに抱きつくと、その場で床にくたばる。そのいはらに身体を並べて自らも横たわるティア。仲良く眠る二人の周囲を囲むように、ティアが床にテープを貼ると、二人の安全圏が出来上がる。いはらが立ち上がり、手を引いてティアを起こしてやると、二人は抱き合ってダンスする。そこに他の4人も加わり、同じように二人ずつ抱き合って踊る。ナンセンス・ギャグのような展開の中に女性どうしのエモーショナルな交感がさらりと描かれる。

 

ブザーが鳴るのは次の対戦が始まる合図である。音楽が変わり、アリッサとケイトリンがエリアの中心に出て交代でソロパフォーマンスを行う。空中で体を水平に傾けるジャンプ、筋力を使ったアクロバティックな動きを競い合い、二人に共通の握りこぶしを床に向けて何度も振り下ろす動きはファイティング・スピリットの塊りのようにパワーに満ちている。先のいはらvs.ティアのシーンがボクシングなら、こちらはプロレスを連想させる。ところがアリッサとケイトリンの二人は、対戦の途中で床にしゃがみ込み、そのままおしゃべりを始めてしまう。身振り手振りを交えてのプライベートなガールズトークに興じる二人。リングサイドのダンサーたちも座り込んで同様にガールズトーク。こちらも先のシーンと同様、アグレッシブな対戦から親密でカジュアルな女子会へと矛盾なく接続され、女性たちの多面的な関係性が可笑しくも愛すべき振る舞いの中に描き出される。

公演を通してダンサーたちは尖がった対戦スピリットで火花を散らし、そうかと思えば楽し気にはしゃぎ回るのだった。「3秒間倒れなかったら勝ち」と他愛ないルールで競う逆立ち合戦での、負けて悔しがり、慰め合い、勝って喜び合い、観客とハイタッチをして回るなどしながら、飽かず勝負に興じている場面は、ゲームの繰り返しのうちにどこか気怠さを漂わせ、そこでは永遠に「女子」でいられるような、終わりのない路上のパーティのような切なくも幸福な時間が流れていた。また正統なアメリカン・ポストモダンダンスの語彙でつづるアリッサとティアのコンタクト・ムーブメントは、それまでより掘り下げた身体のやりとりを通して、互いの存在が深く交感しあうプロセスを見せており、本作のパフォーマンスを多層なものにしていた。

対戦、競争、ヘルプ、サポート、挑発、けしかけなど、敵/味方の関係の間に生まれる親密なドラマは、6人一体となっての競争へ、そしてときに協働へと上演を通じて意味内容を変えてゆく。背後の壁にテープで水平のラインが貼られると、ダンサーたちはこぞって壁に向かってジャンプし、バレーボールのネット際の攻防のようにラインを越えてタッチの高さを競う。壁の高い位置にはピンクのテープがクロスして貼られている。6人はこの印を、ある高みと目してジャンプを繰り返す。彼女たちが共に手を届かせようと欲するものはスポーツにおける勝利と栄光ばかりではないだろう。女性たちが人生において抱く憧れや目標や希望、あるいは獲得すべき価値。それらを印すピンクのクロスに到達を試みる6人は、壁前に背中を寄せて山を作る。中間アヤカがその山に上り、高みに手を延ばす。

女性たちの協働がパフォーマンスの形式へと展開するのは、ラグビーのハカを思わせる場面である。ブザーを合図に一斉にシャツをまくり上げた6人は、ブラジャーをした胸を露わにし、客席を向いて静かに佇む。注がれる視線に自らの女性性を堂々と晒し、観客一人一人の顔を、さあ、どうだと、誇り高い眼差しで見つめ返すのである。さらに6人は中腰に構え、掛け声、足踏み、ジャンプ、握りこぶし、痙攣する手などを組み合わせた振付をユニゾンで動く。厳かで力強く儀式的な振付には、女性ダンサーたちの連帯と共闘、相互への敬意が込められているのだ。滞在制作中に日本で開催されたラグビーワールドカップに想を得たと思われ、おそらく本作の新長田バージョンにオリジナルの振付だろう。女性であることを越え、なおかつ女性であることを誇るパフォーマンスは、オールブラックスの男性たちに引けを取るものではない。

既に何度か触れたが、パフォーマンス中、ダンサーたちはたびたび自身の手でアクティングエリアにテープを貼る。自らのルールは自らが決める自己決定の意志の表れであり、獲得された自由の領域の比喩にもなり得る。テープに囲まれた場所は女性たちの親密な生が確保される安全圏であり、与えられたカゴではなく自らの生きる場所を勝ち取ってゆく闘いの現場でもあると言える。本作におけるスポーツの形を借りた協働・共闘を、#MeToo運動や#KuToo、女子サッカーのメーガン・ラピノー選手の発言、チリから始まった言葉と身振り「加害者はあなただ」の広がりなど、女性への暴力や差別に抗して世界の様々な場所で上げられる声やアクションに重ねてみることも可能だろう。というより、そのように重ねて見ないではいられない状況こそが現実だろう。テープを貼ればそこが対戦の場になるならば、「どこでもドア」のように、私たちはどこでも、誰とでも、その生を尊重し合いながら自由と尊厳と多様性を求める運動を繰り広げることができるのかもしれない。フェミニズムが新たなうねりを見せ始めている今日、本作でダンサーたちが示したタフネスと互いへの共感は、そのような思いを抱かせるものだった。最後に6人は壁のクロスの印をめがけて一斉に矢を放つ動作をする。見る者に希望を示す最終場面だ。

異なる身体と背景をもつ他者との共演は、ダンサーたちから熱い内面とタフネスを引き出し、やがて誰もが関与を免れない政治性への言及に至る。スポーツというモチーフにより、アーティスティックで内省的なコンテンポラリーダンスの定形の外に出たことで、神戸のダンサーたちがかつてなく精彩を放ったことは示唆的だ。劇場芸術としてのコンテンポラリーダンスにとっての外部性を見出していくことが、あらためて求められているように思われる。

 

(2019年10月22日、ArtTheater dB KOBEにて所見)
竹田真理/ダンス批評

 


 

  • 下町芸術祭2019「家が歌う」
  • <シカゴ⇄長田>のオドル交換滞在制作『 SEARCH PARTY 』
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  • 2019年10月22日(火・祝)上演
  • 振付・演出|Erin Kilmurray
  • 出演|Tia Monet Greer、Alyssa Gregory、Kaitlin Webster、
  •    中間アヤカ、松本鈴香、いはらみく
  • DJ|江南泰佐
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シカゴのリンクスホールとダンスボックスとの“滞在制作”を通したエクスチェンジが始まります! その第一弾となる今回の滞在制作公演は、<シカゴから振付家のエリン&3名の女性ダンサー>×<関西在住の3名の女性ダンサー&DJ>とのコラボレーション。「私たちには可能性がある。」それは、ダンスフロアとスポーツ・アリーナのあいだのような場で、挫折・忍耐・思いやり・競争・協働・勝利によってつくられるパーティーです!

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