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81年俳優養成所に入所する。その後グローバルな可能性と抽象性に引かれダンスに転向。89年NYへ留学。
1993年〜98年、MATOMA france-Japon数多くの主要国際ダンスフェスティバルに毎年ソリストとして参加。
97年より自らのカンパニー(ADC アローダンスコミュニケーション)を主宰し、人が生きて行く事の普遍性をテーマに、フィジカル・シニカル・コミカルに創作を試みている。
98年バニョレ国際振付賞ノミネート。99年 白いビニールテープを使用した「スペースシリーズ」がフランスで話題となり、海外からの招待公演も多数。(エクサンプロバンス国際ダンスフェス、ミモス国際マイムフェス、ソウル国際即興フェス、テジョン国際振付フェス他多数)。
それと並行し地方での公演・ワークショップ・ギャラリーパフォーマンスなど日本でのダンスの裾野を広げるべく精力的に活動している。 |
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