ご挨拶

大谷燠の逝去に際しましては、温かいご弔意ならびにご厚情を賜り、心より御礼申し上げます。
大谷燠は、8月27日、72歳にて永眠いたしました。
生前は皆様に温かいご支援やお心遣いをいただき、心より感謝申し上げます。
大谷は大阪のミナミで生まれ育ち、高校卒業後、東京の大学に行きました。
舞踏に出会い、北方舞踏派の結成に参加。山形県鶴岡市、北海道小樽市を拠点に活動後、アフリカ・ヨーロッパの放浪の旅を1年。帰国後、ピエロや手彫りのハンコの仕事をした後、トリイホールのプロデューサーになりました。
1996年、関西のアーティストともにDANCE BOXを立ち上げ、その後、
フェスティバルゲートのArt Theater dB、新大阪を経て2009年神戸の新長田に拠点を移しました。
そして、2017年より新開地アートひろば(旧:神戸アートビレッジセンター)の館長も務めておりました。
どの時代も、ひとときも止まることなく、アーティスト、ダンス作品に囲まれた日々でした。
大谷はもう一つ、振付家の顔を持っておりました。
千日前青空ダンス倶楽部の振付家・紅玉として、2000年以降活動。マイペースに作品を作ってきました。実は今月(9月)半ばに上演予定のダンスカンパニーMi-Mi-Biの新作を振付しており、クリエイションの真只中でした。
未完ではあるのですが、ロマンチストの紅玉ワールドをぜひ皆様にもご覧いただきたく、何とか舞台に上げたいと思っています。作品を作っているときの大谷は、本当に楽しそうでした。
2015年からは自宅も新長田に移し、猫2匹と私と暮らしておりました。
3年前に事故にあって以降、車椅子の生活でしたが、8月23日には新開地アートひろば、24日にはダンスボックスの公演も鑑賞し、変わらぬ日常のペースで過ごしておりました。
大谷は本当にどんな人にも分け隔てなく接する人でした。
来るもの拒まず去るもの追わず。
ダンスを愛し、いいちことタバコを愛し、常に人に囲まれる日々。
葬儀は、幼い頃からおばあさんやお母さんと通ったお寺で行いました。花々で満たされた空間の中、皆様に見守られながらお送りいただき、大谷も安らかな気持ちで旅立つことができたと思います。
今後は大谷の思いを胸に、DANCE BOXスタッフ一同、力を合わせて活動してまいります。
どうぞ変わらぬご縁をいただけますよう、お願いいたします。
誠にありがとうございました。
喪主:文(NPO法人DANCE BOX事務局長)
この記事に登場する人
紅玉
大阪生まれ。1972年土方巽の舞踏に出会って以来、独自に舞踏を研究し始め、74年より北方舞踏派の設立に参加。 舞踏手として山形・北海道を拠点に活動。2000年、演出・振付家として「千日前青空ダンス倶楽部」を結成。 代表作「夏の器」「水の底」は国内外で多数上演。2005年、大阪市咲くやこの花賞受賞。動くのではなく、動かされる身体に着目。形にならない至らない気配から、踊り手の存在、美しさを引き出す。踊りの根源を見据えつつ、同時代におけるダンスの可能性を探求している。
2023年4月10日 時点