■■12月16日(水)
■■@ダンスボックスにて
新長田ダンス事情を実施することに関して、正岡健二さんにご相談する。
正岡さんは「マルヨネ」というお肉屋さんの専務さんであるが、ほたる火コンサート協会やKOBE鉄人プロジェクトの代表も務め、新長田の文化人を代表する人と言ってよい。
このプロジェクトは、新長田を拠点に踊る人たちを取材していくことで、地域の文化資産としての<踊り>、<人物>を再発見し、そのこととコンテンポラリーダンスとの接点を見出したいという試みである。
そこで、正岡さんに新長田を中心に活動している舞踊家、踊り手を紹介してもらった。
能楽師、奄美出身の人たち、沖縄舞踊、町内会、日舞、朝鮮半島の舞踊等々、驚くぐらい多様な<踊る人>がこの地域で活動していることがわかる。
このプロジェクトは5年間をかけて完成させたいと思っているが、じっくり時間をかけてアプローチするだけの値打ちと意気込みが必要であることを実感する。(O)
■■12月22日
■■@花柳五三輔さんの稽古場にて
長田神社の近くにある花柳五三輔さんの稽古場へ行く。
応接間にはホームバーがあり、邦舞とは異なる洋風な雰囲気が漂っている。
色々と昔の話を聞きながら、ビデオも見せていただく。
なかでも20年ほど前に開催されたフェスピック神戸大会の閉会式を演出された折の映像は、レーザー光線やシンセサイザーを駆使したもので当時としては斬新な試みであったと思う。
また、二対の連獅子も斬新な振付で若い踊り手(当時)の勢いをうまく活かしたものであった。
あと、振付は簡単だが、構成が難しいという言葉が印象的であった。(O)
※フェスピック神戸大会の閉会式を演出された折の映像を拝借いたしました。1月17日13:00〜21:00の中でごらんいただけます。
■■2009年12月28日(月)
■■@花柳五三輔さんの稽古場にて
長田神社ちかくにある花柳五三輔さんの稽古場にて、
花柳五三輔さんにお話をお伺いし、稽古風景も拝見させていただきました。
この日の稽古は、お弟子さんが日本舞踊の全国大会に出演されるため、本番直前の貴重な稽古を拝見させていただきました。
まずは、リハーサル風景のビデオをみて、問題等をチェック、そして稽古場へ上がります。
恥ずかしながら、日本舞踊は初めて生で拝見。
リハーサルの進め方は、コンテンポラリーダンスの時とはまた違っていて新鮮でした。
日々の様々なしぐさや所作が踊りに鏤めされていて、この踊りが作られた時代の人々の生活様式などに思いを馳せながら見ました。
稽古は、着物に着替えて行われます。
同じ振付を着物で練習を積むこととジャージで積むこととでは、また違ってくるのだろうか。
今の生活様式の中でつくられた踊りは、果たして、50年後、100年後にはどのような受け止められ方をするだろうか・・など、いろいろに想像を膨らませました。
稽古後には、花柳五三輔さんが創作された作品を拝見。
花柳五三輔さんの作品は、まずは空間構成を考えるところから始まることが多いようです。
踊り手の舞台での位置や、舞台のセット、背景の壁の使い方など、立体的に楽しめる作品だなぁと実感。
踊り手のフォーメーションもとても綺麗でした。
まだまだ聞きたいことはありましたが、あっという間に3時間ほどの長居。
次公演される時には見に行きますとお伝えして、稽古場を後にしました。
■■1月8日
■■@神戸奄美会館にて
新長田の駅から5分程のところにある神戸奄美会館へ行く。
先生の藤田幸子さんは新舞踊、奄美の踊り、琉球舞踊などをここで教えられている。
その初稽古におじゃました。8人のお弟子さんたちが、参加されていて、ほとんどの方が奄美出身。お稽古の前に色々とお話を聞く。
みなさん、昭和28年に奄美大島が本土復帰した折に、神戸に来られたそうである。沖縄の復帰と比べると早い時期ではあるが、戦後8年も占領されていたことは、初めて知った。
江戸時代は薩摩藩に占領されていたということで、ほぼ沖縄と同じような文化圏にあったようであるが、踊りに関しては奄美には古典的なものはなく、音楽だけであったらしい。
お稽古は初めに、次の会で踊られる、奄美の現在の歌謡に新しい振りをつけたもの。続いて、「六調」という宴会の最後にみんなで踊る踊り、これは細かい決まりがないようであるが、それが反対に踊りに勢いをつけている。それから闘牛の折に応援のために踊る「とんこ節」?を見せてもらう。
みなさん、おそらく70歳を越えておられると思うが、踊っている様子は乙女のようであった。
(O)
■■1月13日
■■@神戸野田高等学校にて
「コンテンポラリーダンス・ツアーin新長田」の冒頭で、
踊ることが楽しい!!躍動が強くきらきらと伝わるダンスを見せてくれた
野田高等学校のダンス部。
ダンスボックスがこちらに引越ししてから、まずはオープニングのWSに参加してくれたり、足しげく公演を観に来ていただいたり、NYから振付家の余越保子さんが来られたときにはWSをダンス部のスタジオでWSを行ったりと、すでに濃くお付き合いさせていただいている。
そして、今回の企画の説明をしに、顧問の平内先生を訪れた。
今回の企画の趣旨、これからの展望をお話していく中で、
震災の年に作られた、とても大事な作品『1/17 あの日から』についての話を伺った。
神戸では、毎年「全国高校大学ダンス大会」が開催されているが、震災の年だけ、神戸で開催できず東京での実施。
その大会にて、野田高等学校のダンス部は『1/17 あの日から』を上演、みごと特別賞を受賞した。
震災によって、ダンス部のメンバーのクラスメイトが亡くなったりと、様々な思いを抱えて作られたこの作品。
先生の思いとしては、この作品を絶やすことなく次の世代へと継いでいきたい、との思いを聞きました。
1月17日(日)「新長田のダンス事情(仮称)」18:00にて、
この当時、東京で上演されたこの作品を上映いたします。
当時この作品をつくった卒業生、そして現役の学生さんにも来て頂き、
この作品を作ったときの思いなど、聞かせていただこうと思います。
FY
■■1月17日(日)
■■@ダンスボックスにて
震災から15周年になるこの日、新長田の駅前や商店街、市場など様々な場所で、亡くなった方への鎮魂イベントや体験を語り継ぐ催事が行われた。
ダンスボックスでは、昨年暮れから取材してきた地域の多様なダンス(舞踊)の映像を通して観ていただき、その映像を肴にたくさんの話の花が咲いた。
真陽婦人会のメンバーの方をはじめ、実際に取材させていただいた方々も来られて、それぞれの地域のことを詳しくお聞きすることができたことは、大きな収穫であった。
復興にむけ様々な試みを仕掛ける一方で、高齢化が想像以上に深刻化していることなど、歩いているだけではわからない地域の表情が見えてくる。
また、ダンスボックスの活動についても少しお話することができた。
午後6時からは、15年前の野田高校ダンス部のコンペに出した作品を上映。当時のメンバーが子供連れで、また現役のダンス部の生徒が30人ほどやってきた。
上映後、顧問の先生から震災があったことで作品のテーマが変わった経緯など、当時の状況について説明があり、また卒業生と在校生との間でも質疑応答がなされた。
15年前の映像は少し痛みはじめていて、きちんと保存しておくことの重要性を感じた。
振付の内容は何度も倒れては立ち上がるというシンプルなものであったが、そのことが反対に訴求力をもった作品になっていると思った。
午後9時終了。普段の公演時とは違うお茶の間のような雰囲気のなかで、子供からおばあちゃんまで、たくさんの方がダンス映像を観ながら、ArtTheater dB 神戸を楽しんでいただけた1日であった。 (O)