【大駱駝艦 壺中天 舞踏公演】梁 鐘譽インタビュー|『春の祭典』へ向かう身体と創作
舞台の上だけは、真実を持って立ちたい。
2026年7月。秋田での金粉ショーを終え、東京へ戻ったばかりの梁 鐘譽(ヤン・ジョンエ)にオンラインで話を聞いた。DANCE BOXが神戸へ拠点を移して以来、初めてとなる大駱駝艦・壺中天舞踏公演。その振鋳を担う梁が、どのように踊り、作品をつくってきたのか。約2時間に及ぶロングインタビュー。
2025年秋、大駱駝艦・壺中天で初演された、梁 鐘譽による『春の祭典』。2021年に映像作品として生まれ、ソロでの上演を重ね、舞台作品へと育てられてきた一作である。
韓国舞踊を学び、来日後は大駱駝艦で麿 赤兒に師事。振鋳(振付)、演出、美術、鋳態(出演)を横断しながら、身体と空間をひとつの風景へと変えていく梁の創作。神戸での再演を前に、踊りを始めた日のこと、舞踏との出会い、作品をつくるときに向き合うものについて聞いた。
➖ 踊りを始めた頃のことから、聞かせてください。
小さい頃から、ずっと踊りたいと思っていました。でも、父がとても保守的な人で、踊りに対してあまり良い印象を持っていなかった。だから、なかなか口に出せなかったんです。
転機になったのは、中学校の体育の授業でした。8人くらいのグループで創作ダンスをつくることになって、私は振付を考え、夜中まで衣装を縫っていました。その作品が学校の文化祭の代表に選ばれたんです。
先生から「この作品をつくったのは誰?」と聞かれて、そのとき初めて、勇気を出して「踊りをやりたいです」と伝えました。先生が両親との間に入ってくださって、ようやく始めることができました。
その後は芸術高校へ進み、韓国舞踊を専攻して、芸術大学、大学院へと進みました。でも、大学で作品を発表すると「韓国舞踊っぽくない」と言われ、コンテンポラリーダンスの場へ行けば「コンテンポラリーではない」と言われる。自分の踊りがどこに属するのか、分からなかったんです。
大学4年生の頃からは、演劇、美術、衣装、音楽など、異なる分野の仲間と「パフォーマンスパーク」というユニットをつくりました。道端で突然パフォーマンスを始めたり、美術館の一角に水をため、空間全体を使った作品をつくったり。当時は、助成制度にも現在のような「多元芸術」の区分がなく、ユニットの活動で助成金を得ることはできませんでした。
だから、自分たちでお金を集めて、とにかくやりたいことをやっていました。いま振り返ると、あの頃の実験や遊びが、現在の自分をつくっていると思います。
➖ 大駱駝艦との出会いは、どんなものだったんですか。
大学時代から、周りの人に「舞踏っぽい」と言われることがありました。でも当時の韓国では、舞踏を見る機会がほとんどありませんでした。教科書に数行の説明と、白黒の写真が載っているくらいです。
初めて見た舞踏は、1998年6月、Juksan International Art Festivalで上演された大野一雄さんの公演でした。その後、2005年にソウルの韓国国立劇場で大駱駝艦の『海印の馬』を見ました。
その公演を見たときに感じたのは「わあ、素敵」とか、「また見たい」とか、そういう感覚とは少し違いました。小さい頃に別れた家族に、ようやく出会ったような感覚です。
どうして私は、あの舞台に立っていないんだろう。やっと出会った。そう思いました。
何か具体的な動きや演出に理由を見つけたというより、とにかく舞台に力があって、感覚的に「これだ」と思ったんです。それまで周囲から「舞踏っぽい」と言われてきたことにも、少し納得がいきました。
その頃、仲間たちも留学やソウルでの活動へとそれぞれが進み、ユニットは以前のように一緒に活動できなくなっていました。自分自身にも、大きな転機が必要な時期だったんです。
やってみないと気が済まない性格なんです。だから、大学の客員教授の仕事もすべてやめて、日本へ渡りました。
時間が経てば経つほど、会うべきものに出会ったのかもしれないと思います。私にとって、大駱駝艦との出会いは運命的なものでした。
➖『春の祭典』は、どのように始まったんですか。
今回上演する『春の祭典』の原型となったのは、2021年に制作した映像作品です。
新型コロナウイルスの影響で公演がなくなり、カンパニーの仕事もなくなっていた時期でした。個人で助成金を申請し、映画や音楽などを手がけるフランス人アーティストのatomと共同で監督しました。
私は、踊りをひとつの絵のようなもの、動いているオブジェのようなものとして捉えています。身体が一瞬、ひとつの絵として形を結び、その絵がゆっくりと運ばれていく。遠くにあるものへ、時間をかけて少しずつ近づいていく。そうした時間や絵の扱い方には、舞踏と映画に通じるところがあると思ったんです。
その映像からソロ作品が生まれ、何年にもわたって、さまざまな場所から声がかかり、上演を重ねました。そのたびに、作品も少しずつ成長していったんです。ただ、映像作品には、まだ完成していないという感覚がありました。いつか舞台で、完成した形へと育てたいと思っていたんです。映像、ソロ、複数の舞踏手による舞台。すべて『春の祭典』という名前ですが、私にとっては、それぞれ違う作品です。
つくったときの自分が違うからです。
昨日の私はもう死んでいて、今日の私は昨日とは違う。作品も同じだと思っています。
➖ 『春の祭典』という作品に、どう向き合ったんですか。
ソロ作品では、ストラヴィンスキーの音楽を使いました。とても美しい音楽ですし、『春の祭典』といえば、やはりストラヴィンスキーという思いもありました。でも、今回の舞台作品では使っていません。
ニジンスキーの作品そのものの内容や振付を、引き継ぎたかったわけではないからです。私が引き受けたいと思ったのは、彼らのアーティストとしての姿勢です。
それまでのバレエでは、足先を外へ開くことが基本でした。それを内向きにし、身体を激しく震わせたり、痙攣のような動きを取り入れたりする。ストラヴィンスキーも、当時の音楽の形式を大きく壊しました。
既存の形式から外れ、新しいものを生み出そうとする精神。
私は、その精神を引き受けたいと思いました。
ニジンスキー版の『春の祭典』を再現した映像を見たとき、衝撃を受けました。いつの時代にも、舞踏は生まれているんだと思ったんです。
➖ 作品をつくり始めたときのことを教えてください。
今回神戸で上演する作品をつくり始めた頃、私はあまり良い状態ではありませんでした。
身体的な変化や年齢のこと。親が年老いていくこと。未来への不安。作品をつくれる自信もなく、今回は辞退した方がよいのではないかと思っていました。
でも、作品をつくるのであれば、いまの自分から始めるしかありません。
人の内面には、いくつもの部屋があると思います。必要なときに開ける部屋もあれば、閉じておく部屋もある。
私のなかには、鍵をかけて、ずっと開けないようにしていた部屋がありました。人に見せたくない。自分でも見たくない。光が届かず、蜘蛛の巣が張っているような場所です。
今回は、その部屋を開けるところから始まりました。
「最も未知の世界は、自分自身」。最近、自分のなかで持っている言葉です。
私の作品は、いつもすごくミクロなところ、自分という場所から始まります。社会や宇宙のような大きなテーマを先に掲げるのではなく、まず、いまの自分が何を感じているのか。自分の内側に何があるのかを見つめるところからです。
でも、ミクロの世界は、必ずマクロの世界につながっていると思っています。
自分の個人的な話や内面に向き合うことは、決して小さなことではありません。そこには、人間として、ほかの人も抱えているものがあるからです。自分が本気で自分の真実に向き合うことができれば、見ている人も、それを自分自身のこととして受け取ってくれる。私とは違う経験を持つ人のなかで、作品が別の場所まで広がっていくと思うんです。

➖ 身体を作品にするとき、何を大切にしていますか。
自分の苦しさをそのまま舞台に出して、「私はいま苦しいです」と伝えるだけでは、作品にはならないと思うんです。見ている人も、ただ苦しくなってしまいます。
舞踏では、自分の感情をそのまま見せるのではなく、身体を通して別の存在へ変えることができます。苦しみを身体が引き受け、私個人の告白ではないものへと変えていくんです。
今回の黒い身体も、白塗りとは違うことをしようとか、見た人を驚かせようと思って決めたわけではありません。作品の出発点となった自分の内側に向き合うなかで、必要な姿として現れてきました。
舞台に立つ身体は、私から生まれたものであっても、私そのものではありません。自分と少し距離を持つことで、初めて向き合えるものもあります。
私は、自分の身体そのものを見せたいわけではありません。
その身体が何を背負い、どのような風景を持って舞台に立つのか。個人的な経験や感情を、見ている人がそれぞれのものとして受け取れる何かへ変えていく。そうしたことができるのが、舞踏の大きな力だと思います。
➖舞台美術や空間は、どのように考えていったんですか。
舞踏では、身体の周りにある空間がとても大切です。
私は自分の身体を見せるというより、自分がどのような風景を背負っているかを大切にしています。その風景を持てるかどうかで、踊れるかどうかが決まるような感覚です。
舞台美術を考えるときも、身体を床から浮かせたいと思いました。床に立っていると、どうしても等身大の人間に見える。高さをつくることで、現実とは少し違う場所へ身体を運びたかったんです。
何かひとつの作品を参考にするというより、これまで自分のなかに入ってきた映画や音楽、風景が、制作するときにふっと現れます。それらが身体や空間と結び付いて、ひとつの絵になっていきます。
初演会場は観客との距離がとても近く、舞踏手の人数に対して空間も狭かったので、非常に密度の高い舞台になりました。ArtTheater dB KOBEでは、身体の周りに空気と奥行きをつくることができます。距離があることで見えてくる絵がありますし、光や美術、身体も、よりひとつの風景として立ち上がると思います。
初演とは違う強度が生まれるはずです。いまは、不安よりも楽しみの方が大きいです。
➖舞踏って、どう見たらいいんでしょう。
何かを理解しようとしすぎなくてもよいと思います。
物語を探したり、動きの意味をひとつずつ考えたりするのではなく、神楽や祭りを見るように、そこで起きていることを受け取ってほしいです。
舞踏というと、暗い、怖い、難しいというイメージを持っている方もいると思います。でも、この作品には暗さだけではなく、可愛らしさもあり、ファンタジーもあり、舞踏手それぞれの魅力もあります。
私は、自分という、とてもミクロな場所から作品を始めました。でも、初演を見た方からは、宇宙や神話についての感想をたくさんいただきました。自分のなかのミクロな世界から始まったものを、観客が受け取り、私が想像していなかったマクロな世界まで広げてくれる。それが、とても嬉しいんです。
舞台の上だけは、真実を持って立ちたいと思っています。その真実が、見ている人のなかにある何かと出会ってくれたらと思います。

編集者コメント
映像版『春の祭典』は、梁 鐘譽とatomの共同監督作品として、2021韓国ソウル舞踊映画で祭審査委員特別賞受賞。その後、ソロでの上演を経て舞台作品へと発展し、2025年の壺中天公演では全8ステージが満席となった。2026年には、舞台版から再構成したソロ作品『正体不明Xの召喚』が、SAI Dance Festival 2026 COMPETITION I & IIにおいて最優秀作品賞/Grand Prizeを受賞している。
受賞歴は、作品の価値を示すひとつの結果にすぎない。しかし、映像からソロへ、さらに舞台へと形を変えながら検証を重ねてきた時間と、梁自身が振付、演出、美術を束ねる創作の密度は、この上演が単なる再演ではないことを物語る。
長年の鍛錬によって磨かれた身体。身体だけでなく、その周囲にある空間や光までを作品へ変える視点。個人的な経験から始まりながら、観客の想像を遠くまで運んでいく表現。
舞踏を見慣れているかどうかにかかわらず、一度は目撃しておくべき身体と空間がここに現れる。
聞き手:横堀ふみ、岩本順平
構成・文:岩本順平


