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福岡まどか「東南アジアの豊かな影絵・人形劇の世界」

DANCE BOXで2020年より始まった3ヵ年のプロジェクト「チャオチャオ!ベトナム水上人形劇!」。当プロジェクトでは、ベトナムの伝統芸能「水上人形劇」を通して、日本とベトナムを繋ぎ、異なるルーツを持つ隣人の文化に触れ、理解を深めることを目指しています。2020年度はYoutubeで特別番組を配信し、長田のベトナムワールドへ誘いながら、水上人形劇の演目の上演や歴史を紹介しました。2年目となる今年は、2022年1月16日に、KICC(神戸国際コミュニティセンター)にて、「こどもも!大人も!工作ひろば」と題し、ベトナム水上人形劇場のミニチュア制作や、現地の絵師に習いながら人形のスケッチを楽しみました。

本プロジェクトでは、とりわけベトナムの人形劇にフォーカスしていますが、東南アジアには多様な人形劇・影絵の世界が広がっています。人形や影絵などのバラエティや上演スタイルも多岐にわたります。今回は、インドネシアを中心とする東南アジア芸能の調査・研究をしている大阪大学大学院人間科学研究科教授の福岡まどかさんにお話を伺ってきました。豊かで奥深い影絵・人形劇の世界へお誘いします。

その魅力は、バラエティの豊かさにあり

 

―まずは、東南アジアの人形劇・影絵について地域ごとに教えてください。

 

福岡:では、まずは立体の人形劇についてお話ししますね。一つ目は、このプロジェクトでも取り上げられているベトナムの水上人形劇「ムア・ゾイ・ヌオック」ですね。これは水の上で人形が踊るのが大きな特徴で、人形遣いが水に浸かって長い竿を使いカラクリを操ります。水上人形劇は、ベトナムの農業や生活のあり方とも関連が深いのも特徴の一つですね。同じ大陸部の国であるミャンマーには、糸操りの人形劇「ヨウッテー・プウェ」があります。東南アジアの他地域ではマリオネットの人形劇をあまり見かけないので、独特だなと思います。ミャンマーはインドとも近いので、南アジアの影響も受けているのかもしれません。

次は、タイの「フン・ラコーン・レック」です。日本の文楽のような人形劇で、3人のダンサーが一体の人形を操作します。特徴的なのは、女性役の人形遣いが女性、男性役は男性の人形遣いが操ることです。また、人形遣いもダンスのステップを踏んでいるのもユニークですね。次にご紹介するのは影絵ですね。同じくタイでは「ナン・ヤイ」と呼ばれる大型の影絵の芝居があります。これは、人の形をした影絵ではなく、登場人物と背景が一体化したような大型の影絵なんです。小型で登場人物の形をしたものは「ナン・タルン」と呼ばれています。同じような大きな影絵の芝居がカンボジアにありまして、これは「スバエク・トム」と呼ばれています。こちらも一つのシーンが影絵となっています。「スバエク・トム」では、人形遣いの影もスクリーンに映って、ダンスのステップを踏んでるんですね。カンボジアでは小型の影絵「スバエク・トーイ」も見たことがありますが地域の民話などを題材としており、大型の方が仏教の儀礼と関連が深いようです。あとは、マレーシアにも「ワヤン・クリット・シャム」などの影絵芝居があります。マレーシアのものはスクリーンに映る人形の影にも色が少し映るのが魅力の一つです。私が研究しているインドネシアの影絵や人形劇「ワヤン」だと、バリ島とジャワ島とそれぞれ人形の特徴も違っていて、ジャワ島の人形の方がややデフォルメされた感じがあります。影絵の場合は、「ワヤン・クリット」、西ジャワで上演される木彫りの立体的な人形が使用されるものは「ワヤン・ゴレック」と呼ばれます。これらは誕生や結婚、成人儀礼など、人生のサイクルの節目で行われています。イスラーム教徒の多いジャワ島では割礼の時にも上演されます。

このように、東南アジアには、大小様々な人形劇・影絵の世界が多様に広がっています。私が知らない人形劇も他の地域にたくさんあると思います。



ワヤン・ゴレック(写真提供:福岡まどか)

 

―なぜここまで人形劇・影絵が多様になっているのでしょうか。

 

福岡:おそらくですが、この地域はヒンドゥー教やイスラーム教など、外来から入ってきた宗教や文化が根付く地域ですが、基層の文化として祖先崇拝やアニミズムが盛んだったんです。そこで、人を表す代替物として人形がよく使われていました。例えば家の入り口などに人形を置いたり、祖先の代わりに墓地に置いたりすることが見られます。直接的な要因かどうかはっきりしないですが、人形を人間に見たてて、様々な儀礼で使うところは原因の一つかもしれません。あとは、この地域にはインドの叙情詩をはじめとする豊富な物語の世界があるので、その演劇を上演するときに、人形や影絵がその表現の幅をとても広げてきたことも考えられます。人が演じる芝居もとても盛んですが、影絵や人形だと、人間には表現できにくい表現ができたり、リアルではないことで観客もイマジネーションを持って上演に寄り添って観られますよね。そうした特徴が豊富な影絵・人形劇の文化に繋がったのではないでしょうか。

ワヤン・クリットで使用される人形

 

舞台裏は大忙し!お裾分けの上演

 

―ワヤン・クリットの影絵の舞台について教えてください。

 

福岡:影絵の場合はまず舞台があって、布製のスクリーンがランプや電球などの光源で照らされます。スクリーンの後ろには、人形遣いや歌い手、楽団がいます。バナナの幹を2本寝かして置いて、そこに人形を刺して使います。人形遣いはあぐらをかいて座って、人形を操作しながら、口では登場人物のセリフを話して、足では箱に吊られた金属板を叩いてシンバルのように音を鳴らします。人形遣い一人だと大変なので、人形を整えて次の場面に合わせて人形を渡す担当も一人います。正面から見ていると、物語がゆっくり進んで冗長な印象を受けるかもしれないですが、実は舞台裏はてんてこまいです(笑)


―後ろから見ている方が面白そうですね(笑)すごく忙しそうです

 

福岡:登場人物の声も一人が全て担当するので声色を変えているんです。女性の声も男性が担当します。人形遣いは男性が圧倒的に多いですね。

 

―劇場公演で例えると、ワヤンの舞台には幕開けのような仕掛けはあるのでしょうか。

 

福岡:幕開きの曲がありますね。西ジャワでは「カウィタン」と呼ばれていて、意味は「始まり」です。「カウィタン」が終わる頃に登場するのは物語の本筋とは直接関係のない登場人物ですが、幕開きのダンスを披露します。有名な人形遣いだと、細部を自分の顔に似せて作る人もいますね(笑)あとは、幕がないので幕の代わりになる影絵があります。「グヌンガン」と呼ばれているトランプのスペードのような形の大きな影絵で、「山のようなもの」、と言う意味があります。それが出てくると幕のような役割を果たしますね。幕だけではなくて、岩や風、海なども表します。

 

―幕の役割の影絵があるんですね!面白い!人々はどんな場所で人形劇や影絵を鑑賞しているのでしょうか?

 

福岡:いわゆる劇場に行ってお金を払って鑑賞する文化はあまりなかったのかなと思います。農耕儀礼とかだと、村の広場などで上演することが結構多いですね。そこに舞台の空間を作って上演することが多いと思います。一方で割礼や結婚、成人などの個人の人生儀礼では、個人の家で、敷地内などに舞台を作って上演します。なので、近隣の家でやっているのを鑑賞するのが多かったのではないでしょうか。一方で最近は会場を借りて行うことも多いです。儀礼に招待された人たちは、スクリーンの正面から鑑賞して、招待客ではない家族や近所の人たちは演者側からスクリーンを眺めています。

 

―近所の人がお裾分けして観ているような感じなのですね。

 

福岡:そうですね。個人の家で上演があるときは、「今日はあの家で上演するらしいよ」とか、「有名な人形遣いが来るらしい」と噂を聞きつけて人が集まってくるんです。交通渋滞になるくらいの大人数になることもありますね。そのような感じで誰もが気軽に上演を楽しんでいます。

 

―コロナ禍において、上演に変化はありましたか

 

福岡:わかりやすい事例で言うと、マスクをつけた人形が登場したり、感染防止を呼びかけたりする様子は見られました。もっとも顕著な変化は、ストリーミングが格段に進んだことではないでしょうか。それまでも映像配信は行っていたのですが、今では週末には選べないほどの上演がオンラインで流れています。そしてオンラインへの切り替えも日本よりずっと早かったように感じますね。上映をそのまま写すのではなく映像作品として流しているものも増えているように思います。本来は儀礼で見られる人形劇や影絵ですが、今はストリーミングをはじめとしていろんな場所で見られますね。ストリーミングで、より気軽に見られるようになりましたが、もともと影絵や人形劇について全く知らない、と言う方は現地にはあまりいないのかなと思います。影絵や人形劇の物語はよく知られていて、レストランやオフィスの名前に登場人物の名前が使われていたりしますね。有名なのは、インドネシアの初代大統領のスカルノではないでしょうか。スカルノ元大統領の乳母だったサリナさんと言う方がスカルノ元大統領に人形劇や影絵の物語を毎晩語り聞かせたと言う話です。そしてその物語を彼は自身の演説でたくさん使いました。そもそもスカルノ、と言う名前は古代インドの叙情詩「マハーバーラタ」に出てくる英雄カルナが由来なんです。お父さんがカルナに感銘を受けてその名前にしたんだとか。


ー生活の中に上演やその物語が溶け込んでいるんですね

 

福岡:インドネシアで上演を見ていて、ダンスや演劇、全てにおいて言えることですが「こうやって気軽に楽しんでいいんだな」と納得することが多かったです。人々は上演をもっと気軽に楽しんでいいし、悲しい場面では一緒に感情移入して感動していいんだと。そんな場所で、人形遣いは登場人物の姿を借りながらいろいろなメッセージを発するわけです。歌や演技が素晴らしいと思うと、みんな一生懸命に歓声や拍手や指笛を鳴らす。そんな相互作用がとても重要なのかなと思います。そうやって観客が心から楽しんで、上演に共感し感動することは、芸能が盛んに発展していくことにおいて非常に大切なんだと現地で感じましたね。

 

聞き手:横堀ふみ

文:髙木晴香

この記事に登場する人

福岡まどか

東京芸術大学大学院音楽研究科修了、修士(音楽)。総合研究大学院大学文化科学研究科修了、博士(文学)。1988年から1990年まで文部省アジア諸国等派遣留学生としてインドネシア国立舞踊アカデミー(現インドネシア芸術大学)バンドン校に留学し、スンダ地方の舞踊を習得して以来、インドネシアを中心とする東南アジア芸能の調査、研究に従事。現在、大阪大学人間科学研究科教授。著書に『ジャワの仮面舞踊』(2002年勁草書房)、『性を超えるダンサー ディディ・ニニ・トウォ』(2014年 めこん)、『ジャワの芸能ワヤンその物語世界』(2016年スタイルノート)など。編著書『現代東南アジアにおけるラーマーヤナ演劇』(2022年3月刊行 めこん)。

2023年4月6日 時点

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