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【公演レビュー】ミックスエイブルダンスカンパニーMi-Mi-Bi『未だ見たことのない美しさ-神戸ver.-』 text by 竹田真理

Junpei Iwamoto

Mi-Mi-Bi『未だ見たことのない美しさ-神戸ver.-』公演レビュー
異なる身体が発する豊穣なノイズに耳を澄ます
文:竹田真理

 

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ミックスエイブルダンスカンパニー「Mi-Mi-Bi」は2022年2月にArtTheater dB KOBEで開催されたトライアル・ダンス公演『未見美(Mi-Mi-Bi)』をもとに、出演したダンサーやパフォーマーから結成されたカンパニーである。「ミックスエイブル」とは、当カンパニーが障害のある人のみならず、障害のない人、その境界にある人も含めたメンバーで構成され、かつそれぞれの感性や個性、特性が障害の有無を越えて混じり合うさまに由来する。旗揚げ公演は2022年9月、豊岡演劇祭2022フリンジセレクションへの参加であった。今回の神戸ヴァージョンはカンパニーの拠点劇場における凱旋公演となる。ステージの横幅など豊岡公演とは条件が異なった分、演出に工夫を要したといい、例えば車椅子で上り下りできるスロープの位置を変更し、ステージ前面の縁の外側に付ける設営とした。視覚障害のある人、車椅子の人、義足を使用する人にとって、少しの空間の違いが演技に大きく影響することは想像に難くない。ただ、スロープを通ってステージに入るダンサーたちの姿を客席から横向きに眺める設定にしたことで、本作のテーマ「旅」のイメージ、すなわち「遠い場所からやってきてどこかへ去っていく旅人たち」の姿が一つの「絵」として映る効果を生み、異なる身体をもった7人の集団が旅するキャラバンのイメージに重なるのだった。地上に生まれた限り、人は一人に一つの身体をもって人生の旅をするが、その身体は唯一無二の、その人だけのユニークな身体であり、人が抽象的な存在でない限り、その代えがたい身体をもって世界と具体的に関わっている。そうした意味で多様かつ対等である7人は、それぞれの異なる負荷を抱えて互いの身体と関わり合い、そのつど生じる関係性のバランスを生きている。そこに予定調和の理解や受容はなく、毎回のリハーサルが身を賭して渡り合う真剣な話し合いの過程であったという。出演予定だった福角幸子さんは体調不良のため映像出演となった。作品はインタビューに答える幸子さんの映像で始まる。コンテンポラリーダンスと出会い、自分の震える手や身体が武器になるのだと知ったと言い、自身の身体を100パーセント受け入れているわけでなないが、「これが私であり、他の人にはない、私にしかできないダンスがある気がして」と語る言葉は、そのまま本作のテーマに通じるプロローグだった。

 

視覚に障害をもつ武内美津子さんがスロープを登って少しずつ歩を進め舞台に入る。心の声を映す言葉が文字列となってホリゾントに投映される――「こわい」「どこ?」(パソコン操作:中村風太)。点滅するカーソルが心の動きを、臨場感をもって伝え、声に呼応するようにメンバーたちが一人ひとり現れてひと固まりの集合体をつくる。固まりは接触を保ったままアメーバ状に変容しながら舞台を移動してゆく。美津子さんの白い杖が手から手へと受け渡され、負荷を分有し、新たな表現を拓く可能性が示唆される。照明の効果で一人一人のカラフルな衣裳が映え、自由へと向かう旅のイメージと祝祭の色を濃くする。作品は(手元のメモを見る限り)18のシーンで構成されており、ソロ、デュオ、群舞が連なっている。シーンとシーンの繋ぎでは誰かが去り、誰かが残り、そこに別の誰かが現れ、そのたびに新たな関わり方が模索される。連なるシーンの数々は多彩で創造性に富み、障害をもつ身体による達成といった意義にとどまらない価値を追求していて、アーティスティックな面でも高いレベルを示す舞台となっている。

 

すでに舞台経験を積んできたパフォーマーたちのソロは各人が活動の中でどのような思索を深めてきたのかを垣間見せる。車椅子をアクロバティックに操作する福角宣弘さんのシーンでは、空っぽの車椅子が舞台を静かに滑って彼のそばに来る。身体の拡張である道具との物理的な関係、かつ分かちがたい相棒のような関係性が見て取れる。物語や心情を雄弁に語る自らの手話が言葉であり記号であることの枠を脱し、言葉を超えた表現の豊かさへ踏み出そうとするKAZUKIさん。ガムランの音に応じるように腕を空中に泳がせ、義足とともに踊りながら音、空間、重力との対話により自身の身体で何が踊れるのかを探求する森田かずよさん。出演が叶わなかった福角幸子さんは先述のトライアル・ダンス公演「未見美(Mi-Mi-Bi)」で発表した『My Body』*)の豊岡演劇祭における上演の音声録音の再生による「参加」となった。不随意の身体から発される声は生のパフォーマンスに劣るものでは全くなく、自らの存在の証を問う切なる叫びとして、観客一人一人の胸に届き、深い残響となって刻まれた。

 

*パフォーマンスの詳細はhttps://diversity.db-dancebox.org/303/を参照

 

それぞれの代え難い表現となったソロ・パフォーマンスの一方で、デュオや7人による群舞ではカンパニーならではの表現が模索されている。演出の森田かずよさんが本作では特にコミュニケーションのあり方を探ったと語るように、さまざまな顔合わせで踊られるデュオは思いもよらない関わりや表情を見せ、我々の固定化した思考を揺さぶってくる。

 

舞台と客席に分かれたKAZUKIさんと三田宏美さんは、離れた位置から大きな身振りを交わす。手話の使い手と通訳者である二人だが、観客の多くにはそれが手話であるか振付であるかの区別がつかない。相手の動きを鏡のように真似る応答、違う動きが示された時の警戒感、語りかけるように身振り手振りを重ね、舞台上で背中を合わせ、徐々に信頼を築いていくプロセスが繊細な感情とともに表現される。空間に美しく映える腕の動き、人類が最初に交わしたコミュニケーションは相手の動きを真似ることだったかと思わせる説得力、他者と通じ合うことの幸福が手話と振付、言語とダンスの境界に立ちのぼり、コミュニケーションの本質に触れ得た忘れ難いシーンとなった。

 

床に横たわる内田結花さんに宣弘さんが車椅子で近づき、その手をとって引き起こす。二人は向かい合い、内田さんの肩に宣弘さんが両腕を回す。内田さんが立ち上がると宣弘さんを抱え上げる格好となり、そのまま二人で舞台手前まで出てくる。宣弘さんを床に下ろし、二人は床をごろりとローリングする。意味に還元できない非言語的な関わりは夢の中の光景のように鮮やかだ。しかしそこには身体障害者と健常者、プロフェッショナルなダンサーとそうでない者、年長者と若年者、男性と女性、介助する者とされる者といった複数の差異が交差しており、権力勾配や官能への微かな予感が観る者をざわめかせる。と同時に、差異を越えた交感の可能性を感じさせもする。

 

女性のみで構成されたシーンでは障害に加えてジェンダーの視点を引き入れ、ここでも交差的な差異を含んだ関係性を見つめている。本番の出演が叶わなかった福角幸子さんに代わり、「も」さんが出演したが、男性が異質な一人として加わったことで、ジェンダー・アイデンティティへの複層的な視点は明確になった。ホリゾントの前に並んだ5人の彼・彼女らは目を閉じて(見えない美津子さんの感覚を体験するためだろう)同一の振付を動くが、少しずつ速度やタイミングがずらされ、徐々に舞台に散開しながらさまざまなノイズを発し始める。床に頬杖をつく人、額と額を密着させて向き合う二人、舞台を滑ってくる車椅子、それを背中に乗せて立ち上がる人。舞台上の思いがけない光景の数々は不思議な夢か記憶の底から掬い上げた風景のようである。タンツ・テアター(*)と呼びたいそれらのシーンは言葉では言いようのない感覚や感情、記憶やイメージを複雑さのままに湛えていて、文脈は不明ではあれ、紛れもなく身体が生み出す想像力の産物である。それらは自由な発想からというよりむしろ制限のある身体、異なる負荷を負った身体の可能性を探ることから生まれている。差異を埋めて均(なら)すのではなく、差異をそのままに、「ぐちゃぐちゃのゴチャゴチャ」(**)なノイズに耳を澄ますことで成り立つ世界の像である。

 

*ピナ・バウシュに代表される演劇的手法を取り入れたダンス。演劇とダンスの間にある舞台芸術の一形態。
**DANCE BOXが主催する「こんにちは、共生社会」のテーマ。本公演はこのプロジェクトの一演目として実施されている。

 

後半の群舞で、ホリゾントに「あるく」「ふれる」などの動詞が投映され、いわば字幕による振付がなされるが、応じるダンサーたちの動きはもはや言うまでもないが一様ではない。「とける」に応じてゆらゆらと柔らかく靡(なび)く人、「ひかる」に応えて自ら光を発するイメージを醸す身体。やがて「おどる」を繰り返す文字列とともにそれぞれの自由な動きがノイズをたっぷりと湛えながら、喜びとともに発露する様は美しかった。アフタートークで述べられたように、何度稽古を重ねても異なる障害をもつ人たちの間で「相手が何を分からないのかが分からない」状況から出発し、毎回ゼロから生き直すようなプロセスをメンバーたちは生きている。予定調和も着地点もない「Mi-Mi-Bi」の旅はそれゆえにスリリングで、舞台は多様でどこを切り取っても豊穣なノイズに満ちている。未だかつて試みられたことのない、障害をもつ人(と持たない人や境界にある人)たちによる、有無をこえて人・もの・ことが多様に混じり合うダンスカンパニーの行く末を見届ける旅を私たちも続けたい。

 

この記事に登場する人

竹田真理

東京都出身、神戸市在住、関西を拠点に批評活動を行う。毎日新聞大阪本社版、国際演劇評論家協会日本センター関西支部発行の評論紙「Act」ほか一般紙、舞踊・舞台芸術の専門誌、公演パンフレット、ウェブ媒体等に執筆。舞踊史レクチャー講師、批評講座講師。ダンス表現を社会の動向に照らし合わせて考察することに力を注ぐ。

2023年3月23日 時点

Junpei Iwamoto

Mi-Mi-Bi

盲・ろう者を含む身体に障がいのあるパフォーマー・コンテンポラリーダンスアーティストによる、ダンスカンパニーMi-Mi-Bi(みみび)。文化庁・NPO法人DANCE BOX主催事業『こんにちは、共生社会(ぐちゃぐちゃのゴチャゴチャ)』プロジェクトをきっかけに、2022年春より本格的にカンパニー活動を開始。同年9月豊岡演劇祭フリンジセレクションに選出され行った旗揚げ公演は、大きな話題を呼んだ。その後、ゲーテ・インスティトゥート大阪・京都とドイツの国際演劇祭Festival Theaterformenにプログラムディレクターとして招聘されるなど、国内外から注目されている。メンバーそれぞれがナビゲートするワークショップや支援学校でのアウトリーチなど、それぞれに異なる身体性と感覚と独自の世界の捉え方などを重要視しながら、活動を展開している

 

▶︎ ウェブサイト『こんにちは、共生社会(ぐちゃぐちゃのゴチャゴチャ)』

2023年3月19日 時点

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