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    「立場や世代を超えて、協働するためのコミュニケーション」 【前編】

森山未來×児玉北斗
「立場や世代を超えて、協働するためのコミュニケーション」 【前編】

2021年7月から始まった、劇場を拠点とした8ヶ月間のプロフェッショナルな振付家・ダンサー育成プログラム「国内ダンス留学@神戸」。6人の若手アーティストが全国から新長田に集まり、身体・思考ともに磨きをかけている。カリキュラムの一つであるNewcomer/Showcaseでは、第一線で活躍するアーティストと7期生が協働し、ダンス作品を上演する。彼らは10月に垣尾優氏、11月には井手茂太氏の作品に出演し、次回で本シリーズ最後の舞台となる。次作を手がけるのは、神戸出身でダンサー・俳優として活躍する森山未來氏だ。

2022年1月21日、22日に上演するNewcomer/Showcase#3 森山未來×国内ダンス留学7期生『Re: Incarnation in Nagata』。本作では、土地が持つ力や歴史が、ダンサーの身体で読み直され、長田の縮図にみたてた大正筋商店街にてダンス作品を立ち上げる。7期生と森山氏は、今年の夏より、ともに長田のまちをリサーチし約半年かけて協働して作品をつくってきた。

「国内ダンス留学@神戸」は育成プログラムであるが、その中でも「Newcomer/Showcase#1-3」は、「協働」がテーマとなっている。一流のアーティストから具体的な指導を受けるのではなく協働することで、7期生はその手法や作品の立ち上げ方を体感し、学びに変えていく。

しかし、バックグラウンドや実力、年齢、経験の違うアーティスト同士が対等に協働することは、言葉にするのは簡単だが、実行するのは容易ではない。実際に協働するにあたっての壁は様々であるが、舞台芸術においてそれは何であるのか、それをどのように乗り越えられるのか。今回は、森山氏と、ダンサー・振付家であり、兵庫県豊岡市に昨年開学した芸術文化観光専門職大学で教鞭をとる児玉北斗氏を招き、若手アーティストと協働することについて語っていただいた。


 
振付家のスタンスは取らない
 

―森山さんのクリエーションを見た感想を教えてください。

 

児玉:まずはすごいパワフルだなと(笑)『Re: Incarnation in Nagata』は、力と力のぶつかり合いがテーマになっているんだろうなと思いました。物質的な身体、肉同士のぶつかり合い、例えば地層と地層がぶつかり合う姿が身体で立ち上げられている。しかも、そのぶつかり合いっていうテーマが、未來くんのクリエーションの姿勢にも現れてて、彼自身も7期生にぶつかっていってる。彼の作品のアイデアと、クリエーションの手法や姿勢が連続的なのが印象的でした。

 

森山:今回、振付という形でオファーが来たけど、振付家とダンサーっていう線引きでやれると思ってないし、やりたいとも思ってないんです。一緒に作品をつくる存在として、こちらから能動的にぶつかっていかないと、始められないなと思いました。一緒にリサーチで行った場所でも、彼らに「じゃあ踊ってみて」と言うのではなく、まずは一緒に動く。もしくは僕からやってみる。まずは僕の身体から何が生まれるかを見てもらうところからしか、できないなと。

 

児玉:それって、率先してリードしていくのとはちょっと違う感じだと思うんです。どちらかと言うと、自分が考えてることの実験台にまずは自分がなってみる。生贄みたいな(笑)

 

森山:生贄(笑)

 

児玉:でも、その姿勢にはすごく共感するところがあって。よくいう言い方だと、振付家がダンサーの中に入ることで化学反応を起こすみたいな。でも、未來くんの場合はもっと直接的なオペレーションがある気がして、化学反応というより実際に一緒に動いて物理的に変えちゃう。7期生が踊っている中に未來くんが直接入ることで、彼らの動きも大きく変わるのが見て取れました。

 

 

―そのように振付家が中に入って作品をつくる現場がお二人は多かったですか?

 

児玉:僕は割と少なかったですね。ヨーロッパや北米のダンスカンパニーで仕事をする機会が多かったのですが、そこでは、振付家とダンサーは1対多のような関係性になりやすかった。作品をつくるという計画のもとに進められていく集団という性質が強かったと思います。

 

森山:振付家と作品をつくる場合は、振付家がコンセプトやテーマを打ち出してきて、ダンサー側が実験台になることは多かったかもしれない。意外と振付家の人が踊った形をそのまま踊ることってなくて、エチュードやワークショップを繰り返して、ダンサーから出た動きをもとに作品が構築されていくイメージかな。

 

児玉:最近はそういったつくり方が多いかも。そのつくり方にしても、振付家が外にいるイメージが大きくて、協働するにはかなりの配慮が必要だと思います。でも今回のダンス留学もそうかも知れないけど、僕が学生と向き合うときには、外からではなく中に入って盛り上げないとダンスがなかなか立ち上がらない気がしてて。

 

森山:その意味では、ほっくん(児玉)も多分振付家になろうという意識がそんなにないよね?(笑)

 

児玉:まあそうだね(笑)でも、振付とは何かはいつも考えてるよ。

 

 

―お二人が振付家というスタンスを取ろうとしないのはどうしてでしょうか?

 

児玉:いわゆる振付家の立場に落ち着いちゃうと、そこから抜け出すのが難しくなってくる感じがあります。今は振付をするときは、若干曖昧なスタンスをとりつつ、作品の立ち上げ方を探っていくことの方に興味があるかな。

 

森山:1対多になってイニシアチブを取り、物事を動かしたい感覚が僕にはないのと、単純に、プレイヤーでいたい気持ちが強いんだと思います。今回僕は作品には出ないんですけど、最終的にはそこにいるダンサーの肉体が、舞台の空間や時間を絶対に引き受けないといけないし、僕自身がそういう存在でいたいという感覚があります。パフォーマーとして立っている自分を僕は求めているから、振付の立場に回ってしまうと、自分の居場所がなくなってしまう感じがあるのかも。僕ずっと言ってるもん、振付やりたくないですって(笑)でも、ダンスボックスさんと仕事したいと思ってて、10年ぶりにお話きたら振付どうですかって話だったから。

 

児玉:でも、振付にもおそらく2種類あると思ってて。作品として自立した作品をつくりたい人と、上演を可能にするにはどうしたらいいのかを考える人。僕も未來くんも結構後者のタイプだと思っていて。ダンサーが十分にパフォーマンスできるためにはどういう環境や言葉が必要かを考える。ただ構造だけを用意して、あなたはこれを遂行してください、という進め方だとある意味誰でもよくなっちゃう。そうではなくて、その時間をダンサーがどう充実してパフォーマンスができるかを念頭に、その人にしかできない導き方や、インスピレーションが湧く方法を考える。そこが振付の面白さだとも思っています。

 

 
若い世代と協働することで見えた、新たな景色
 

―森山さんは別媒体のインタビューで「自分よりも若い世代と協働したい」とおっしゃっていましたが、その背景を教えてください。

 

森山:自分のキャリアを考えたときに、10代から始まって、やっぱり自分の同世代や年上の人と協働することが多くて。単純に自分より若い世代の人と仕事をすることがなかったんです。でも30代になって同年代が活躍している姿が見えてくるようになったり、年上の方達が変わらず活躍しているのが目に入る一方で、自分より若い世代って、結構自覚的にならないと見えないなと感じる時があって。でも、最近そういったアーティストと出会う機会が多くて、同世代や上のジェネレーションは見たことのある風景が多いけど、彼らには今まで見たことのない面白い風景があることに気づいた。そこにポテンシャルを感じて、そういった人と積極的に関わりたいと思うようになりました。

 

児玉:年上の人とずっといたのは共感します。僕も19歳からプロのバレエダンサーとしてキャリアが始まって、最初の舞台がちょうど倍くらいの年齢の人とのデュエットだった。今僕がその人と同じくらいの年代。若い世代と付き合うときに、自分がそれまでやってきたことを1回消化してからじゃないとうまく向き合えないと思う部分があって、そこが面白さでもあるし難しさでもあると思います。接してみて初めて、実力や経験の違いから生まれるギャップみたいなものに気づくこともありました。見えてる世界や前提がすごく違うと思います。

 

森山:それこそ今回のクリエーションの入り口の段階で反省することがあって。さっき話したように、今までの作品づくりの現場では、振付家から渡されたコンセプトに沿って身体を捧げて提案するっていうのを普通にやってきた感覚があったから、それを7期生のみんなにも当然のように求めてしまったんです。前提を無視した状況で進めていったときに、彼らが「どうして?」ってなったっていう。それに気がつかないまま進めていった中で、稽古の最後に彼らの消化しきれない感情がポンと出てきた。そこで初めて前提が抜けてしまっていたと気がついた。僕がそういった経験を経てきたからといって、それじゃだめだったんだっていう。どうしてみんなに身体を提示してもらいたいのか、僕が踊るのではなくみんなに踊って欲しいのかっていう前提を、自分の言葉にしてまずは伝えないと始められないんだと。でも、最初の段階でそれを知れたのが本当に良かった。そこから改めて、どうやってみんなと関われるのか、関わるべきなのかを一度考え直した。『Re:Incarnation』はもともと京都で自分がつくった作品だったから、なぜそれをやろうとしたのかとか、自分でプロセスをちゃんと消化して説明できるようになっておかないと、彼らと対峙できない場面が生まれてしまうんだと。それからはしっかりとコミュニケーションを取れるようになった感覚はあります。

 

児玉:やっぱり自分がやってきたことってブラックボックス化しちゃうというか、自分の中で辻褄を合わせちゃうようなところはあります。それって、若いアーティストや協働する人たちから見ると、なぜそうなっているのかわからないけど従わなきゃいけないという構造になることがあって。だから、自分で自分のブラックボックスをこじ開けて1回整理する必要がある。僕にとっては、そういうプロセスはすごく大事だなと思っています

 

森山:今回の作品では、それぞれの身体であったり考え方や美学があるから、それをどんどん剥き出していって欲しいと思っています。僕がつくったユニゾンの振付を踊る、といったような作品では全くない。だから剥き出してもらうには、自分がまず剥き出していかないとダメだなと思っています。

 

 
対等でいるために大切なこと。まずは自分から
 

―協働するアーティストと対等でいるために、どういうことを意識していますか?

 

森山:使い古された言葉だけど、コミュニケーションとリスペクトだと思います。もちろん最初からリスペクトがないわけではないけど、見ず知らずの人と初めましての状態で振付をすることが初めてだったので、わからないことだらけだった。どういうプロセスを経れば良い関係性で物事が転がっていくのかは今も勉強中です。その中でも思ったのは、とにかく対話をするしかないというか。言葉だけじゃなくて、今回はダンス作品だから身体言語でもいい。とにかくちゃんと会話を成立させるには、こっちが会話を促していくことが大事なんだと。ほっくんが言ったように、自分がまず生贄のように身体を捧げていって、向こうからの言葉が返ってくるのを促す。自分が一方的に何かを伝えるのではなくて、返してもらうために何を出すかってことは意識したいと思っています。

 

児玉:年代や立場の違いがあると、コミュニケーションって一方的になっちゃう可能性があるじゃないですか。そうじゃないコミュニケーションを形作るのはとても大事だなと思っています。さっき言っていたブラックボックスというのも、結局は自分自身のわからなさの塊なんだけど、それを1回開いて、自分でも結局わからないわ、ということを認めるところから始めないと、対等にはなれない。そしてその状態を彼らにも共有しないと、こちらがわかっていて、あなたたちはわかっていないという状況が生まれてしまう。例えば、今回の未來くんの作品だと、地域を知るという、お互いわからないものを一緒に知っていく過程があるじゃないですか。一緒に現場に行ってみて、お互い初めて知る。そして一緒に動いてみて、それぞれ違う動きが生まれる。その状態は対等なんじゃないかなと思う。僕の場合は地域のリサーチではなくて、一緒に本を読むこととかを大事にしていて、それは同じような考え方から来てるんじゃないかな。「僕もよく分からないから、一緒に考えよう」とかね(笑)。それでコミュニケーションも促されますしね。よくあるモデルは、振付家はやりたいことがわかってるけど、ダンサーはやりたいことを分かってないから振付家のビジョンをダンサーが実現していくという形ですね。でも実際は全然そうじゃなくて、振付家自身も何をやりたいか分かってない(笑)

 

森山:ははは(笑)

 

児玉:だから振付家はダンサーと一緒に考えるために、「ちょっとやってみてくれる?」って投げかけて実験台になってもらって、「そうそう!でも、ここはちょっと違うかも」っていう相互のやりとりを重ねて作品ができていくものだと思うんです。ダンサーもその過程を通して舞台に立っていいんだと思うようになっていく。それは有意義なプロセスだと思います。

 

森山:共犯関係なんだよね。ちょっと胡散臭い聞こえ方になっちゃうかもしれないですけど、作品をつくるメンバーで共同幻想をちゃんと持てるようなプロセスを経ることが大事だなと思います。

 

児玉:そうそう、共犯関係。最終的には観客を含めた共犯関係になっていく積み上げが、コンテンポラリーダンスをつくる上で目指すことの1つだと思います。同じビジョンを共有するとか、まだないビジョンを1から一緒に立ち上げるみたいな。最初はお互い何をやってるのか分からないけど、やってるうちに、「あ、今のなんか面白くない?」っていう。そこに乗っかっていけるかですね。そこで「いや、ちょっと乗れないかも」と一歩引いちゃうと一旦共犯関係からは外れると思うし。

 

森山:一緒につくるときって、イメージを共有するためにまずは話しますよね。で、散々喋った後、身体でやってみると言葉で想定していたこととは全然違うことが生まれたり、僕たちが構築しようとしているロジックから逸脱したものが生まれたりする。でもそれが直感的に良いと感じられたり、ビジュアルとして面白かったりする。その往復が、身体を伴う作品づくりにおいて重要なことであり、醍醐味なんだろうと思います。この身体じゃないと成し得ない上演というものが立ち上がるときの大きな要素なんだろうな。

 

 

後編に続く

 

文:髙木晴香

この記事に登場する人

Takeshi Miyamoto

森山未來

1984年、兵庫県生まれ。5歳から様々なジャンルのダンスを学び、15歳で本格的に舞台デビュー。
2013年には文化庁文化交流使として、イスラエルに1年間滞在、Inbal Pinto&Avshalom Pollak Dance Companyを拠点にヨーロッパ諸国にて活動。
「関係値から立ち上がる身体的表現」を求めて、領域横断的に国内外で活動を展開している。
俳優として、これまでに日本の映画賞を多数受賞。ダンサーとして、第10回日本ダンスフォーラム賞受賞。
監督作として、ショートフィルム「Delivery Health」「in-side-out」などを手がける。
2021年3月11日には京都・清水寺でのパフォーマンス「Re:Incarnation」の総合演出を務め、東京2020オリンピック開会式では鎮魂の舞を踊った。
2022年4月より神戸市にArtisti in Residence KOBE(AiRK)を設立し、運営に携わる。ポスト舞踏派。

2023年4月6日 時点

児玉北斗

2001年よりダンサーとして国際的に活動、ヨーテボリオペラ・ダンスカンパニーなどに所属しマッツ・エックらの作品にて主要なパートを務めた。振付家としても『Trace(s)』(2017)、『Pure Core』(2020)、『Wound and Ground (βver.)』(2022)などを発表。現在は芸術文化観光専門職大学(兵庫県豊岡市)の専任講師としてダンスや振付をめぐる研究・実践・教育に取り組んでいる。www.hokutokodama.com

2023年4月6日 時点

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