ACDF通信04

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公演の 2日目も無事終了しました。
ご来場くださいました皆さま、ありがとうございました。
本日のレビューは、俳優の【岩佐好益】さんと、 DANCE BOXの一階上にある「remo」というスペースの【甲斐賢治】さんより届きました。

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ACDF通信への視点 その2 (8.6.の回)


まどろみの中で夢を見ている時の様な、妙に心地よい「感覚」がそこにはあり、それを感じたくてまた足を運びました。役者をしている私は、言葉にするにはとても難しいこの「感覚」を感じる事で、凝り固まってしまいそうな自分の「感性」をほぐしているのかも知れません。
ホントにそれだけでダンスの詳しい事等サッパリ分かっていません。
でもこのままでも十分面白いので分かろうともしていません。
今回も演者の身体を通してその心地よさを楽しませて頂きました。
各国の文化や歴史等、相変わらず難しい事は何も分かっていません。
でも、こんな楽しみ方をする人も中にはいてもいいかなぁと・・。
言葉にならない、またする必要のない「共通の文化」、身体を通しての「感覚」を十分に楽しませてもらいました。
ありがとうございました。

■ 岩佐好益 (俳優)

京都府生まれ。俳優。舞台、テレビ、映画で奮闘中。

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ACDF通信への視点 その3 (8.7.の回)


7日のプログラムをすべて見終わって、まだ数分と経ってない内に、すぐ横の4デシリットルで、飲み物片手に一服しつつ、さっそくこれを書くことにした。ルールはこの際、書き進むこと。読み返して、直したりしないことにするので、何が出てくるか …どうか勘弁。で、「ご自身の専門との関連…」をとのことだけど、ボクの専門はおおよそ「地域とメディア」みたいな感じなので、なんだかどうにでもなってしまいそう。ま、いっか。で、思いついたことや浮かんだ印象をそのまま書くことにしたよ。(ほんまは普段、いわゆる大阪弁。やけど、文章やとつらいので許して。)で、エメ・スズキさんのを拝見して思いついた言葉は、とにかくも「パンク」。このことは後で説明するけど、なんだかギシギシしてて良かった。特に後半、既成の印象(イメージ)に指先だけ触れつつも、決してその中に取り込まれないように抗うような態度ととれる構成で、真摯なユーモアも感じることが出来た。で、次は「儀式」。タイのピチェ・クランチュンさんの、遠くで聞こえる風と雷の音で始まる、アジアン・マッチョ(これは言い過ぎ。マッチョというより、東洋的でかつ男性的なシンボルだったということかな。)な孤高のオープニング。で、「儀式」って言ったのは、後半の仮面とのカラミに移るまでの緩やかな時間と仮面を被ってからの変貌ぶりまでの経緯全体。「あ、これは知ってる。」って、思ってしまった。つまり、なにかとっても身近な感覚がそこにあって、畳のへりを踏んではいけないと知るボクの中にもすでに間違いなくある所作のデフォルメのように思えた。何かに畏れる謙虚な心持ちって感じかな。そういう「儀式」や慣習は、団地で育ったボクにさえもどこかで埋め込まれ、奥の方で育まれてる。(ひょっとして、今こうしているこのキーボードにも何かが宿るのか…ま、いっか。)で、そういうアジアなボクが全体通してずっとみてしまうのは、欧米のコンテキスト(潮流)と、アジアのコンテキストの激しい接点が、いまここで可能性と不可能性を孕みつつも、それはそれは実に現代的な風景として、目の前に広がっていることそのもの。そう言う意味でいつもACDFは、実に貴重な機会だと思う。ACDFに選ばれたダンサーの人々は、その風景の意味を実に深く受け止め、戦士のように勇敢に立ち向かっているように思えて、ほんといつも感服してしまう。こういう機会があるからこそ、コンビニに囲まれた世界の端っこであるボクらの毎日が、明日の世界をつくっていく責任をもっていることを、思い起こさせてくれる。うーん。で、最後にエメさんについて、もうちょっとだけ。彼女を見ていて思ったのは、その独自の「コンテキスト」を紡ごうとする力。ボクのような、振り返るべき過去の歴史を一度リセットされたような感覚を持つ人にとっては、彼女の真摯で切ない精神が、安易に過去を振り返ることないように留意しつつ、改めて前へと道を切り開こうとするとき、それは「パンク」としてボクの目に映った。みなさん、お忙しいこととは思いますが、ACDFはなるべく体験しておきましょう。

PS:途中の舞台転換の時、脚立に乗って作業する男性3人の姿も、ひとつの演目のようで、魅入ってしまったのはボクだけだろうか?

■ 甲斐賢治  /カイケンジ  (自営)

主に文化事業のデザイン、マネジメントを行う。 NPO remoではメディアと個人の関係をもっとダイナミックにと目論む日々。


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ダイジェスト・ニュース

・事務所から焼酎用の氷を入れていた器がなくなっていた。さて、これは見つかったのだがその場所と用途はまだ言えない。事務所で爆笑が起こった。

・ダンスボックススタッフ Tシャツ人気はさらにうなぎ上り。

・クランチュンのマネージャーさんが来日。長くメールだけで連絡を取っていた人と会えるのはなんだか嬉しい。

・クランチュン、アリフワランは昨日、日本のエメ・スズキとアメリカ村を散歩したようだ。

 

アリフワラン「偶然、とういものがものすごく意味をもつこともある。」

昨日、8月6日アジア・コンテンポラリーダンスフェスティバルが開演した。同時にこの日、広島では原爆記念式典が開かれていた。

このフェスティバルのスケジュールが決まったときからこの日付けの意味は分かっていた。ただ事務所としては、ここが盆まえの週末という事で逃す手はなく、スケジュールは必然的決まったと言える。

アリフワランもこのスケジュールを知った時、それが過去に日本に原爆が投下された日だという事に気付き、いろいろ考えていたようだ。

初日を終え、彼が気付いた事はここで誰も広島の事を話していなかったと言う事だ。

もちろん個々には皆知っていたはずだし、それぞれに考える事はあったかもしれない。ただこれまでに、それがその日の日常の会話として議論にまで発展するかというと、あまりそういう現場に出くわした事がないのも事実である。アリフワランは「そういう話はタブーなのかな?」と聞いていたが、そういうわけではぜんぜんない。

海外(おおまかな言葉で申し訳ないが)に行くと、そういう話はよく出てくる。いつもそんな話という訳ではもちろんないが、特別ではない。一方日本では日頃から、文化や政治といったことが話題になることは少ない。

アリフワランにとっては重大な問題だ。最近ではどこの空港でもムスリムだということだけでテロリストの手配写真と見比べられるらしい。また本名が長すぎて、パスポートに乗り切らないとも聞いた。どちらも僕には想像もできないことだ。そういった経験を日々体験するとしないとでは大きな違いが出てくるのは当たり前かもしれない。

昨日彼は僕にお願いがあるといって「自分にとって文化とは何か、簡単に書いてくれないか。」と頼まれた。とりあえず今日渡したが、ここからどんな話がうまれるか楽しみだ。(塚原)

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編集長会議8月7日


T:明日もちゃんと働きたいのでなにか褒めて下さい。
Y:でんぐり返しをしましょうか。そうか後ろ回りでも・・。

編集:塚原悠也、横堀ふみ

発行: NPO法人 DANCE BOX