【公演レビュー】
国内ダンス留学@神戸8期 成果上演『ESCAPIST』
text by 竹田真理
DANCEBOXでは今年度も「国内ダンス留学@神戸 9期」を開催します。
9期募集の情報公開を目前に、昨年度の8期成果上演『Escapist』に寄せて、ダンス批評の竹田真理さんから公演レビューをいただきました。
公演写真と合わせて、どうぞご覧ください。(撮影:Junpei Iwamoto)
国内ダンス留学@神戸8期 成果上演
『ESCAPIST』レビュー
国内ダンス留学@神戸8期の成果上演。振付家コースの安本亜佐美が振付・演出を行い、8期生と22年度dBアソシエイト・ダンサーが出演、安本が専門とする現代サーカスのヴァーティカル・ダンスと呼ばれる技法を用いた創作である。現代サーカスはコンテンポラリーダンス界においても世界的に注目されている分野で、アクロバティックな技術を駆使しながらもアーティスティックで洗練された舞台作品に仕立てる例が増えている。海外からの来日公演も多く、昨年日本でツアーを行ったカンパニーXYなどは記憶に新しい。国内でも胎動はあるものの未だ数は少なく、本公演は貴重な一例といえる。ダンスとサーカスの融合と言うは容易いが、実際には全く異なる身体の扱いが求められ、習得のハードルは高かったようだ。その様子がアフタートークで語られたので、まず紹介しよう。
ヴァーティカル・ダンスとはロープとハーネスを用い身体を空中に吊り上げて演技するダンスで、地上とは全く異なる重力の作用を受け、「10分も吊られているとぐったり」し、「慣れるまでは酔ってしまう」のだという。ロープに制限され、重力がダイレクトに掛かり、身体が重くなって維持するのもままならない。体に芯を持たなければ自分がどちらを向いているのかさえ分からなくなる。そのような空中には「自分が持っていない動き」があり、物理的な作用にのって動くことで「そうとしかならない形」になるという。ケガをしたダンサーが「足の小指一本を負傷しただけで立っているのも精一杯」の状態となり、「地上にいることの安心」を実感したと語るのも興味深い。ダンスが「地面に如何に立つか」の問いから始まるとすれば、ヴァーティカル・ダンスではその前提がすでに異なっており、地面のない空間で身体をどう保ちコントロールするか、地上とは異なる身体操作のロジックが求められる。
このような問題提起から出発する本作は、技術の誇示や華麗さを競うのではなく、重力との対話、身体感覚の発見などマテリアルなアプローチを重視する。と同時に、演技する場である「空中」をイマジナリーな異世界に見立て、独自の作品世界を立ち上げている。床からわずか数センチ浮いた位置にもマジカルな世界の広がりがあり、この異世界に足を踏み入れた身体の経験をそのまま生かしての創作である。思考を誘発する作品タイトル、白いモンスターの考案など、作家性を宿したモチーフが様々に散りばめられている。
実際、劇場では客席と舞台が「マジカルに」逆転していて、舞台上にひな壇席が設営されており、アクティングエリアを見下ろす格好である。フロアと舞台の段差の影は死角になっていて、不意にそこからダンサーが姿を現わす。2階ギャラリーの壁面にはそれだけ切り取られたかのような誰かの腕が浮かび上がる。床を這う人の動作は垂直の絶壁をよじ登るロック・クライミングにも見え、超低速で動くダンサーは引き延ばされた時間を進んでいる。空間も時間も、ここでは基準や尺度が変調していて、まさに不思議の世界、マジカル・ワ-ルドの様相である。
ダンサーたちのパフォーマンスは慎重に、一挙手一投足を確かめるように行われた。ハーネスを装着した長野里音が天井から下がるロープに自らを連結し、注意深く床から足を離す。自身の重みでロープはいったん下がり、その低い位置で宙に浮き体勢を整えるうちに、やがてゆっくりと大きな振り子運動が生まれる。2階ギャラリーの腕の主(森脇康貴)は身体を水平に吊りながら、壁面に対して垂直に足を着けて歩く。この動きは60年代後半、ポストモダンダンスの振付家トリシャ・ブラウンがビルの外壁を伝い降りる作品を考案したことを思い出させる。反対側の壁面では山下桃花がロープと壁と体軸の三辺でバランスを取り、空間に乗り出すように身体を斜めに傾けている。高い位置での緊張をはらんだぎりぎりのバランスだ。アクロバティックな技の披露が目的ではないとしても、空中での演技は命懸けのはずである。重力との新たな関係を結ぼうと未知の空間に身を投じるダンサーたちの果敢な姿勢は尊いものに映る。
一方、指を負傷している新井海緒がロープに吊り下がろうと四苦八苦する場面など、もどかしさや不全感をそのまま作品に組み込んでいるのも面白い。新井を助けに現れた安本亜佐美がお互いのハーネスを連結する。道具の誤用はクィアな身体像を生み、カチ、カチと道具を扱う音は一つ一つの動作の手応え、体のリアルな重さを伝えてくる。トリシャ・ブラウンの壁歩きなどロープやハーネスを用いた作品群は「道具のピース(equipment pieces)」と呼ばれた。本作でも道具は安全確保以上の意味を持ち、信頼、救済、投企、委ね、諦念、官能性、物質性などに通じる。滑車を介してロープの両端で引き合うアクションなどにも人間性のドラマが見て取れる瞬間があり、作品を味わい深くしている。相手や道具に命を預ける瞬間に生まれるドラマ性だろう。
ロープを使った空中の演技は地上のダンスと組み合わさり、空間全体をイマジネーション豊かに構成した。音楽が入り、デュオやカルテットが踊られる背後には、低い位置での振り子運動が、その上空では対になる形で激しいロープ・アクションが展開、この構成された「景」に白いギリースーツで全身を覆ったモンスター(高瀬瑶子)が加わり、作品はファンタジーの色を濃くする。上手側ロープの高い位置には武井琴が、水平に、上下逆さに、開脚して大の字に、ゆったり鮮やかなポーズを作る。照明の効果、地上のダンサーの配置も含め、美しい光景が立ち上がった。本作のクライマックスの一つだった。
タイトル『ESCAPIST』とは「逃げる人」。この地上で苦痛を抱える人、出口のない生を強いられる人にとって、空中は退避場所であり救済や希望を意味するだろう。昨秋来日したフロレンティナ・ホルツィンガー『DANZ(タンツ)』は魔女たちの空中飛行がジェンダー規範からの自由と解放を謳い上げた。人類はここではない何処かを常に夢見てきた。或いは「逃げる」とはアリスのように、異世界からの脱出を意味するかもしれない。暗転の際、劇場内にある全ての非常口のランプが点灯し、「逃げる人」のピクトグラムが緑の光に浮かび上がった。横が縦に、水平が垂直に、重力や時間さえもが変調したこの奇妙な世界から逃げ出せとピクトグラムは呼びかけていたのかもしれない。フライヤーの言葉からは完全な救済も永遠の解放もないような、もっと複雑で両義的な世界への眼差しが感じられる。地上と空中のあわいに滲み出る甘さと苦さの味わいは安本の作家性の表れなのだろう。
ダンサーたちの誠実な探求心も上演を通じて印象に刻まれたことの一つだ。身体、振付、動きのロジックを根本から見つめる思慮深さは、本作だけでなく、例えば坂本公成・振付『怪物』のショーイングにも見られた。この作品を踊ってきた歴代のダンサーたちに比すれば振付に食らいつく勢いや凄みは及ばないものの、言語化が不可能にも見える怪物的な動きを骨格ごとの一振り、ストロークとして分析し咀嚼して動く様子に、学びの時期にある者らゆえの探求を見て取ることが出来た。
成果上演『ESCAPIST』も、より緊密さや迫力をもってパフォームされれば、随所に埋め込まれているアイデアや同期する要素が活きて、訴求力あるスペクタクルを立ち上げたはずだが、それはプロフェッショナルとしての活動の中で追及していけばよいだろう。ダンス留学という貴重な時間の中で身体と動きと技術に関する根本的な思考を重ねた経験が観る側にも共有された、大変貴重な機会となった。
執筆:竹田真理
◇◇◇◇◇
【国内ダンス留学@神戸9期】はまもなく募集開始です!
どうぞ続報をお待ちください。
この記事に登場する人
竹田真理
東京都出身、神戸市在住、関西を拠点に批評活動を行う。毎日新聞大阪本社版、国際演劇評論家協会日本センター関西支部発行の評論紙「Act」ほか一般紙、舞踊・舞台芸術の専門誌、公演パンフレット、ウェブ媒体等に執筆。舞踊史レクチャー講師、批評講座講師。ダンス表現を社会の動向に照らし合わせて考察することに力を注ぐ。
2023年3月23日 時点