ぷるるる、ぷるるる?
あ、もしもし?


( さて、今回登場のパパ・タラフマラ演出家の小池さんは東京在住という事で、予算もない事ですし、電話でのインタビューとなりました。さっそくどうぞ。 )

(塚原)
はじめ、どういった経緯で『三人姉妹』をやろうと思われたのですか???
そして、「原作」って小池さんにとってどういうものですか?


(小池)
一昨年にモスクワのマールイ劇場で『三人姉妹』をみたことがきっかけです。 ロシア演劇といえば、もうそれだけで畏敬の念を持って崇められるようなところがありますよね。実際に観て、面白かったといえば面白かったのですが、(その舞台が)今の時代を生きているとは思えなかった。 チェーホフ自身は昔から好きでした。淡々としながら、絶望的でありつつ喜劇的でもある、そういったところが。いつかやってみたいとも思っていたんです。 そして、それを観たあとに一緒に行っていた人に「こういうのやる気ない?」ときかれ、その次の年がちょうどチェーホフの没後100周年ということもありやってみることにしました。

これまでにシェイクスピアを2作品、ルイス・ガルシア・マルケスの『百年の孤独』から作品を作ったこともありますけど、これまで原作を忠実に再現しようとした事はありません。 そうではなく、その原作にインスパイアされ、自分がおもしろがれるかということであって、その原作の核にあるものに自分なりに関わり、そして離れてゆくということがやってきました。


(塚原)
現在この『三人姉妹』は再演や海外公演(ブラジル、カナダ、チリ、ポーランド)をたくさん重ねてどのような変化を見せていますか?

(小池)
変わって来てはいますが、はじめのカナダ、チリ、東京くらいまでで内容はほぼ固まりましたね。



(塚原)
海外での反応ってどんな感じでしょうか?


(小池)
まぁ海外ということで言うと、日本とのお客さんの反応の違いが大きい。
日本のお客さんは静かで本当に反応が少ない。なのに拍手が延々と続いたりもしますし。それに比べ、海外のお客さんの反応は非常にダイレクト。だから海外にいて日本に帰ってくると肩すかしにあったような気持ちになります。どうも日本人は、身体性を失っているのではないかと思います。 いろいろなものごとを情報で判断することに満足している。 例えば作品を観て「なぜあそこにああいう台詞が入るのか」「この動きの意味はなにか」、そして「あそこで笑っていいんですか?」なんて聞いてくる人もいる。 これは海外ではあり得ない。 カラダで感じ取れる人が少なくなってきているのではないだろうかと思います。 これは世界中で起こってきているけど、日本は特にそう感じます。


(塚原)
ところでこの作品のダンサーは始めから決まっていたのでしょうか?
そして、作品を(ビデオで)見て、いわゆる分かりやすい女性らしさというものではなく、非常にニュートラルな性意識を感じたのですが、小池さんはどのような女性観をお持ちですか?

(小池)
この作品に関しては始めからこのメンバー決まっていました。
というのもカンパニーの外で探しても、普通の役者、ダンサーにはこの作品はできない。声を出して、動いて、そのあとすぐに音を外さずに歌ってということは簡単そうに見えてなかなかできることではない。この3人のダンサーはすでにパパ・タラフマラに10年以上在籍していて信頼もありますし。

それから、この作品に対する、最も多い感想が『女とは何かというものを描いている。これが女だ』というもので、これは女性の意見です。ただ、不思議な事に『これは男が見た女だ。』と言う人もいて、性別によって意見がばらばらでおもしろいです。じつはあまり作中の女性がニュートラルだとは言われないですけどね。 ただ、そういうようなところも多少はあるかもしれない。 作中の女性は男の庇護の下で生きるのではなく、自分で何かを起こしたいと欲している女性かもしれない。

女性観、という事でいうと、世間で言われているほど女性が変わったとは思わない。 女性が変わったのではなく、男が変わったのではないか。 男は弱く保守的になってきたし、先行きの分からない、不安定なものに飛び込まなくなってきた。安定志向がとても強くなってしまった。 世の中を見ても冒険しない男の顔が増えてきました。 そういう意味で、女性が変わったとは思わない。 女性はあくまでも相対的にですが生理的な存在で、感情、感覚的な生き方をする傾向はある。つまり社会の影響を受けにくくより身体的であると言えるでしょう。


(塚原)
なるほど。
さて、(おきまりの)大阪のお客さんに最後に一言頂ければ。

(小池)
パパ・タラフマラの公演は50対1くらいで海外でのものが多くて、国内でやる事自体が少ないので、大阪の公演に関しては、どういう反応になるのか楽しみです。


と、いうことでお話を頂きました。
今思い返すと、まだ直接お会いしていない方と電話でのインタビューで「どのような女性観を持っているのか?」なんて単刀直入に聞いてしまいました。笑われてしまいました。すみません。
ただ、『三人姉妹』を観ているとこれが一番聞きたくなったのも事実です。
普段はこういう話は嫌いで、男も女も変わらんぜと思っているのですが、いっぽうで(いや、だからこそ?)女の人ばかりが頑張って酒をついだりお茶を入れたりしている現状を見ると、自分やったらようやらんなと、腹立たしくなるときがあって。
『三人姉妹』の女性はそういうところとは無関係な位相にいるように見えて、この人らと友達になりたいな、もしくは闘いたいな(笑)と感じました。電球でしばかれるかもしれないけど(これは観てのお楽しみ)。

ということで、身体性ゼロのもやしっこ男子(冒険心のかけらもないような顔した)と、アタイが時代を切り開くワぁ!!と日夜ワナワナしている女子(少し変わったレオタードが好き)はとくに必見の舞台ですね。 なにか瞬間瞬間に新しい可能性が開かれてゆくような、そんな作品です。 (聞き手・文責/塚原悠也)

●参考リンク
小池博史・オフィシャルホームページ
http://www.kikh.com/
パパ・タラフマラ・オフィシャル・ホームページ
http://www.pappa-tara.com/pappa_hp/1/pappa.html
マールイ劇場オフィシャル・ホームページ(でもなんも読めねぇや。)
http://www.maly.ru/

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鳴り止まぬ轟音。走り続けるいのち。
手をズボンに突っ込んでそっけなくストイックに始まったダンス振付の行進を観つつ、しげやんこと北村成美のダンスは、覚悟の踊りであると始めて思った。それは、しげやんも35回目の誕生日を迎え而立したので何も迷わなくなった、というのではない。また、ソロ5周年、自分の踊りを集大成したので、もうけして間違わないというのでもない。
反対にそれは、日常の細かくどうでもいいことで迷ったり悩んだりするその些事に潜む決意や悔悟を隠さずに曝すようになったという三十路の居直り的な覚りである(もちろん、ダンスという表現が彼女をぐねぐねとここに立たせているのではあるが)。その柔らかい居直りが生む激しい燃焼。愚直に生きるためにひねり出されたプレゼントであるシゲニカルダンスが、つまりは、大きな大きなパンツであり、そのピンクや紫やフリフリであり、あるいはちょっと滑稽なまでに浪速のガンツケであり、そして、大きすぎるブラジャーカップによる、この場に居合わせた「あなた」への、くさいほど優しい励ましダンスなのである。さらに、一緒に食べることで成就されるプロポーズ映像になり、あるときは、赤いバラが口をふさぎ、顔がシャツで見えなくなるネガティブな世界にも連なっていく。
踊っている方も観ている方も、そして演奏している方も(ドラムの一楽儀光がステージにいてガチンコ演奏と撮影を自在に楽しんでいるので一番美味しく見えたが、それにしても)、この一時間を生一杯、迷いつくし、戸惑い間違う。だから、覚悟とはいっても、諦観とか達観とかではない。迷い悩み、ぐじぐじ思い、人をうらやましく思ったり悔恨したりすることを含めて、いまここに生きることの意味をなかなか見通せない愚鈍なるすべての人たち私たちへの応援歌。何も「見通せず見誤る」ことをまるごと含めた覚悟なのだ。
あえていえば、大バカの覚悟。
いまここにいる私のカラダとココロ。そこからのみ出立するしげやんダンスのかずかず。それを「ノーメイク」で振り返ることでもあり、その次を予感させる予告編でもある「シゲニカルパレード」に臨むことは、なんと幸せなことなのだろう。「しげやんダンス道」におけるそのときどきの道しるべを一綴りにした、「大バカ覚悟踊り」へのフラッシュバック。つづめていえば、それが今回の「シゲニカルパレード」であった。(小暮宣雄 京都橘大学)

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【市川まや】
私が「初しげ」したのは、今から三年前。
ラベンダー色のでかパンでパワフルに踊りまくるのを観て、あぁ…これが「なにわのコリオグラファー」か!!と思った。
生きる喜びとたくましさ…強いダンサーなんだなぁ…と感じた。
それから、時がたってdB企画の「アートキャバレー」にひょんなことから、ダンスカラオケのシゲメイツオーディションに出ることになり、晴れてシゲメイツ入りを果たした。
「生しげ」と関わることになってから、実はすごくデリケートな人と言うことに気付いた。
デリケートだからこそ、色んな事を感じそれをエネルギーに変えれれるのかな…と。
今回のしげやん…北村成美を観て、美しいと感じた。
始めの幸せそうな昭和なニオイの映像…それを打ち破るような、ドラム。そこにいる、身体。
手の使えない身体は何かを生み出そう、抜け出そうと葛藤しているように見えた。
ズボンをずらし、でかパンで、これまでを振り返る。
ドラムと踊りの真剣勝負…必要最低限の格好で必要最低限のセット、音、踊り。
それをやることによって、積み上げてきて出来たことから、明日への新たなる一歩を作り出しているように感じた。
そして、「今日のしげ、どやった?」と聞く、お酒でほんのり赤い顔のしげやんが印象的だった。

今年はシゲメイツ強化合宿に行きたいです。。。脱ぎ練100本!!

シゲニカルパレード、ばんざぁ〜い!!

【上田美紀】
しげやんのパンツを見ながら思った。暖色多いなぁ。
脱がずに脚の付け根に重なったパンツ。しげやんの年輪のようだった。ソロ活動5年間、積み重ねた作品達=暖色パンツの年輪。木が1本づつその輪を増やす様に、色の輪(作品)が重なるごとに大きくなり、今のしげやんがいる。これからもカラフルな輪を重ねてほしい。何年たっても真っ赤なパンツを中心に。

【小坂井雅世】
しげやんと一楽さんが真剣に遊んでいたので、真剣に楽しましてもらいました。「観客」になっていると時々 舞台からこちらへ働きかけられるので、うかうかとしておられず、生の舞台の緊張感が、新しい意味でありました。
料理で例えると一楽さんの濃い〜ぃ煮汁にこれまた濃口でピリリときいてるしげやんをあわせ、人生のほろ苦さをスパイスにあっつあつの料理に仕上がったという感じです。満腹。

【横堀ふみ】
「シゲニカルパレード」は大阪BABAの幕開けにふさわしく、一楽さんのドラムの一声を合図に、舞台全面を覆い隠す白色のスクリーン(客席手前に吊っている)がふるい落とされて始まった。強烈パンチ。ドラムとしげやんのガチンコ・セッションは、しげやんの新世界が見えてきた。キャラクターやパーツダンスに拠らない、しげやんのダンスそのものの肝や妙味が爆発した。アフタートークは、DANCE BOXの竹ち代司会で笑いの絶えない時間に。(ちなみに初日の飲み物はビールで2日目は水である。) カフェ「4竕」では、しげやんを撮り続けている<小熊栄さん>によるPhoto Theater(スライドショー)を行った。カフェの白壁に東京や白州、また2年前のdBでの「シゲニカルゲート」などの写真が映された。たくさんの時間や思いが凝縮されている写真一枚一枚にうなった。  


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