(上藪)
横浜ダンスコレクションの受賞者公演より大改造とHPにありましたが、どのように変えたのですか?
(濱谷)
横浜はもとのオリジナルの音楽を使っていたんですけど、最後のシーンだけがそのまま残っているだけで、他は全部音楽を変えました。オリジナルの音楽が悪いわけではないけど、たぶん何か違うよね、と思って・・。
横浜のときは音の形を守ろうとしていたけど、今回はまったく逆な感じ・・
(上藪)
今回は逆というのは、外しているということですか?
(濱谷)
1つ決めたことを壊すって大変じゃないですか。何かないと変えられないと思うんですよ。
(上藪)
タイトルの"R"について・・
(濱谷)
"R"って、"なんであなたは女の人なの"というような究極な感じ・・。いろいろな表現とか、見え方とかっていくらでもあると思うんですけど、そういうのをいくらやっても仕方ないし・・
"なんで女をやっているの" "なんであなたは生きているの"と問われている・・小手先ではない自分の生き様・・・うまく言えないんですけど。
(上藪)
映像とセリフがなくなったことで変わったことは?
(濱谷)
映像とかセリフとか他のものもそうだけど、すべて要素でしかないような気がするんですよ。作品によっては、"これは絶対許せない"とか
"これがないとできません"とかあるんですけど、"R"はそれではいけない。要素を組み込まなくても、組み込んでも、できないと。要素を組み込むということは、着飾っているということだから。回数を重ねてくる中で、それは無意味だと・・。
でも横浜最悪でしたよ。捻挫するし・・。作品についても最後の立っているシーンは要らない、と結構言われて・・。
あの最後のシーンは、すごいいろいろなことを考えるんですよ。そして、いろいろなことを考える時間って素敵だなぁって。
観ている人にも、いろいろなことを考えてほしいなぁと思います。ダンスを観に来ている人は、もう少し頑張れるかなぁというような、生活する糧にしてほしいし、そういうことを考える時間になるような気がして・
・。
(上藪)
これからも踊っていく上で、気をつけていることってありますか?
(濱谷)
一番シビアな気がしたんですけど・・。去年いろんなことがあって、もう踊れないなぁって思って・・。
踊るって、格好よく生きているか、生きていないか。自分の生き様をさらすことだから。踊りって、デフォルメできるものを持っていないといけない。そうでないと人前に立てない。
dBでのリハーサル後というお疲れのところのインタビューでしたが、いろいろとお話いただきました。椙本さんに"ウソつくな"と当初から言ってきたという濱谷さんの言葉には、自分もウソをついていない真っ直ぐなものを感じられました。
"格好よく生きているか、格好よく生きていないか"という言葉が、スッと出てくることに震える感じがしました。真っ直ぐに自分と向き合って生きていることが感じられて、ダンスを観て感じていた通り、とても素敵な人でした。(聞き手/上藪恵美)
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ダンスボックスの舞台に珍しく幕が掛かっている。ダンスでないのを殊更に強調しているのか、空間を一瞬閉じてしまうことに何か意味があるのか、少し考える。多分、役者がそこ(舞台)に既に居ることを強引に理解させるための方法なのかもしれない。幕が上がれば芝居のお約束事として物語は既に始まっている、観客は突然その中に投げ出される。しかし、この芝居の物語は何処にあるのだ、ちょっと洒落た謎解き。が、決して謎は解けない、いやもう最初から謎なんてない、けれど物語はそこにある。どんな形にせよ、誰かが動き語り始めたら人はもう物語の中に閉じ込められてしまう。逃げるよりも一緒に戯れてみよう。
大きなテーブルの上に置かれたコーヒーカップを前にして、男と女が文庫本を声を出して読んでいる。朗読、むしろ勝手なモノローグの様に聞こえる。書物の内容とは乖離した言葉。決して会話が成立しない空間。本を見つめている限りお互いの視線は交わることは出来ない、したがって二人の間にコミュニケーションの可能性は取り敢えずない。ただ言葉が浮遊するだけ。お互いの日常を語りだす、通勤電車の憂鬱な乗換駅や街の風景の淡々とした描写、それは本に書かれた、誰かの日常なのかもしれない。交差する寸前で立ち止まる言葉。やがて大きなテーブルは喫茶店のカウンターに変っていく、六人の役者たちがマスターやウェイター、お客、その友人、恋人と少しずつ関係性の位相を変えて現れる。しかし、切片化した物語はついにその全体の姿を現すことはない。合コンで一人浮いてしまう男の話、別れた男の暴力の話、幻の犯罪まで匂わせる。繋がりそうで繋がらない。ここでテレビドラマ風の物語を展開させることは十分に可能だ。しかし、そんな詰まらないことをするよりもこの漂う言葉と、役者たちが作り出す奇妙な空間を一緒になって彷徨っている方が遥かに楽しい。男たちと女たちの関係は既に終わってしまっているのか、それともまだ何も始まっていないのか?フワフワとどっち就かずに言葉が物語の周りで踊りだす。錯綜とした物語というよりも、物語の不在、隠蔽がこの作品のストーリーなのだ。その場その場のお喋りを拾い集めていく、お喋りはどんどん増殖する。劇的ではないが、自然でもない仕草と言葉で展開される物語。喋り続ける存在として人間。時に無表情であったり、逆に必要以上に表情豊かであったりする役者たち。劇的な大きな物語の周辺をゆっくりと円舞する正直者の会。円卓に騎士は揃わない。切れ切れになった言葉の破片が妙にリアルに、新鮮に目の前を通り過ぎていった。
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【横田茜】
先日私がインタビューさせて頂いた、田中氏による待望の公演。稽古を見ていただけに期待満点とお客さんの反応も楽しみでした。結果は、期待通りというか期待以上。稽古も面白かったけれど、やっぱり本番ですね。お客さんも笑ってて、役者さんも遊ぶ所とかあってこれがやはり劇場の醍醐味ですよね。
インタビューでも触れた通り、内容は日常の風景や物語の一コマが切り取られてタイムラインに沿って無造作にコラージュしたような構成。だから物語は無いけど、エピソードに溢れてる。その一見チグハグで色とりどりのコラージュの中に何か関連を見つけようとすると途端にはねとばされる巧妙な演出の仕掛けが随所に用意されてて観てる人はあちこちに引っ張られては突き放される。まるで考える事をさせてくれない。
「こんなに引っぱり回しやがって、なんじゃいな!」と腹を立てるかと思いきや、所々に笑いがあって笑って吹き飛んで行ってしまう。・・・・どこか憎めない愛嬌のある芝居でした。
アフタートークでも言ってましたけど、「何回見てもおもしろい」これが一番言い得てると思います。たった2日だけの公演はもったいない。その面白さは、頭で感じるロジカルな楽しさではなくて感覚で楽しむものってところが、私にとって新しかったです。だから何回でも楽しめる要素を感じるんだと思います。
言葉のリズム感がすごく気持ちいいのでCDでも楽しめそうな演劇ではないかとも思いました。言葉の意味そのものよりは、言葉のもつ音、リズム、組み合わせの妙を楽しむ感じだったので。
余談ですが、この芝居を観た人「テッテーレッカモンアイリーン」が頭の中をリフレインしたんじゃないでしょうか? 私は回ってました。今も回ってるので、今からこの曲ダウンロードしようと思ってます。そこで気になった皆さんにも、こっそり教えてあげます(アフタートークでも言ってましたが)。題名は「カモン・アイリーン」歌手はDexy's Midnight Runnersだそうです。
【上田美紀】
田中さんの思考回路を見てみたい。きっと私の脳には引かれていない回路がいっぱいあるに違いない。
舞台上ではさまざまなお話が立体交差していた。同じ時間、違う場所で起こっている出来事。ほんの一瞬その出来事が重なる。それは同じ言葉だったり、同じ動きだったり。同じ言葉でも女性が言ってたり、男性が言っていたり。肯定的だったり否定的だったり。作品の中にその交差している点があちこちにちりばめられている。私はいったいいくつ見つけられただろうか。もう一度見たい作品でした。
【小坂井雅世】
幕があいて(落ちて?)しばらくすると、役者さんと役者さんとの、ことばのリレーでできたような独特の空間にまきこまれていった。時に自分も感じたことのあるような、なにげない感覚が思い起こされたり、ある人の感情劇があったり、とりとめもなく、いくつかの感覚が、まるで自分の前を電車が通り過ぎる様にはしっていく。と、思ったら実は電車の中にいる自分に気がついたりもした。様々なしかけをくぐり、見終わった後はたぬきにばかされた後のように不思議にぽつねんと客席に座っている自分がいた。 【日指貴子】
仕掛けのある絵のようでした。角度を変えると見え方も変わったり、別の絵が見えてきたり。常に変化していく流れの中にいるようでした。舞台の真ん中にはまるくて大きいテーブルがあって、最初はそこに一人一人が集まってきて、最後、一人一人去っていく。テーブルが何かのサークルのように見えて、色々なものの関係はどこか自分の知らないところで、まあるく繋がっていたりするものなのかなぁと思いました。
【横堀ふみ】
田中さん(作・演出)と話してたら、毛穴まで突き刺さるような視線がびしびし。一瞬の隙も許さない感じ。今回の「円卓」もそんな印象がある。取りとめないようなある一コマや、妄想がぷくぷく膨らんだような一コマ、隣人のかかえる傷も、ずっとこのまま続いていかない。その時だけの出来事が、隙なく、時にはひねくれながら、どんどん連なっていく、そんな印象だ。またその連なっていき方が、面白かった。興味深い作家さんに出会えたなぁと思った。田中さんの次回作、見たくなりました。
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