(小坂井)
はじめに今回はThe Two Chairsという作品ですが、寺田みさこさんとの共演は初めてですよね。キッカケはなんですか。


(山田)
もともと寺田さんとは昔に知り合っていました。ロリーナ・ニクラスの振付家講座で出会ったのがキッカケです。(注:せつ子さんが講師、みさこさんとそして現在一緒に踊ってられる砂連尾さんもダンスクリニックに参加されたそうです。)

私が京都造形大にご縁が合って来させていただく様になって、砂連尾理+寺田みさこ の作品を拝見して、素晴らしいなと思ったので、造形大に来ていただいたんです。そういう経緯があって、みさこさんにダンサーとしての魅力を感じていて、今回のセッションにつながりました。新しい発見があるといいなと思っています。挑戦だと思っています。ダンスの新しいものが見えてきたらいいな、と。


(小坂井)
みさこさんのダンスのどういったところに魅かれましたか。


(山田)
バレエ出身のコンテンポラリーダンサーとしてやってらっしゃいますが、とても不思議な方で。まだ 不思議なものがたくさんある方というか、ダンサーとしての可能性がまだまだたくさんあるのではないかと思って。キレイに踊れるってこと以外に、不思議な魅力を感じているんです。

(小坂井)
12月に東京の方で新作をやって、また二月に新作 The Two Chairs というはこびで、時期のあかないうちにやってらっしゃいますよね。


(山田)
12月の舞台に対して、2月(今回の公演)のは実験的で、構成はあるけれど、かなり即興性があるんです。みさこさんが即興に挑戦してみたい、という希望もあって。構成は決まっているけれども、振りはほとんど決めていないんです。こういう方向でダンスを踊るというのはきまっているんですけれども。


(小坂井)
せつ子さんの著作「速度の花」でも、ご自身の踊りについて “求心的”と書いてらしたのですが、そこにみさこさんが加わることによって新しいバランスがうまれてくると思いますか?


(山田)
そうですね...みさこさんは何だか...人間じゃないみたいな感じなんです(笑)動物とか虫とかそんな感じ。私にとって未知の身体感覚性をもっているので、求心的なものと全然違う感覚のものが隣にいる、というか。不思議な 動物性があって。お互いの謎と向かい合いながら探していきたいですね。

(小坂井)
何だか深いコミュニケーションって感じがしますね。


(山田)
そこまでいきたいです。

 

(小坂井)
“The Tho Chairs”という題ですが、Chair=椅子 の意味合いは?


(山田)
本当に椅子を使うんです。日本の昔の家には椅子がありませんよね。だからどこでも自分の場所だと言う感じがしませんか?椅子は空間の中で、自分の場所をあらわすんです。今回はみさこさんの体、私の体 を椅子に見立て、自分の存在があるスペースをイメージしています。

(小坂井)
ご自身だけでなく「人と踊る」...今回は寺田みさこさんと踊るわけですが、それについてどう思いますか。


(山田)
やっぱり人と踊る、ということで 自分の枠をこえていくことができますよね。私自身、人の身体をモノのように扱うように扱えないんです。ユニゾンできっちり踊るのも いいけれど、そこからのズレというところに関心がいってしまうんです。例えばリズム感が悪い、とか...あくまでも例えですけど、じゃあそのリズム感の悪さはどこからくるんだろうとか と考えてしまうんです。そしてその方向を変えると、今までにないリズム感がでてくる、それが面白い というか。ずらしたくなる。その方が人が集まった時、面白い と感じるんです。

(小坂井)
ご自身はソロでやられてた期間がながいんですよね。


(山田)
えぇ。ソロをずっとやってきて...三十代半ばからちょっとづつ人と踊ることに関心を持てるようになってきたんです。昔は一人でやってたんですが、自分のことをつきつめて考えると、「自分の問題」ではなくなってくるんですね。“あなた” “私たち”というところへいく。自分が生きている場所のことを考えるんです。単独ではないから。向かい合わざるを得なくなるんです。自分と向かい合ったら、人と向かい合うことになる。当たり前のことだけれど、表現として気付くのに、多少時間を要したわけです。自分というのは、他者との関係性の中で 自分 になれると思うんです。

(小坂井)
では最後にこの記事を見ている皆さんにひとことお願いします。


(菱田)
女二人がやんちゃに踊り遊ぶ姿を見に来ていただければ...。初めての舞台上の出会いですので、期待と不安、ないまぜの中で練習しておりますが、楽しめればと思っています。



緊張しまくりの私の質問にも、すっと答えてくれたせつ子さん。聞き入りながら、舞踏からコンテンポラリーダンスへと脈々と流れているものをまさに生きているかただなぁと ・・・聞いてるときは多分そんなむつかしいこと考えていませんが(笑)・・・ そんなことを思いました。せつ子さん・みさこさんがどんな風に踊って、どんな風に 何が残るのか ... どきどきします。(聞き手/小坂井雅世)

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【上田美紀】
逃してはならない。2回目の公演後のアフタートークの時に思った。アフタートークで芝居の裏話があり、役者さんが「昨日は…だったので、今日はこうしてみました」や「昨日こういうことがあって…」と言うのを聞くと、じゃあ明日はこの2日間を受けて何をどうするのだろう?何があるのだろう?いや、何もないのかもしれない、でも見なければ。ということで、2回目に続き3回目の公演を見た。同じ台詞、素材なのだけれど、その2回は全く印象の違う、その回なりの楽しみ方、面白さのある舞台だった。何れの回でも、負けるか!とダンサーと戦う役者さん達。見事勝たれた方、鮮烈に砕け散られた方、結果はどうあれ非常に心地よかった。見ている私としては(菱田さんのお言葉を借りると)心折れて頂いた方が面白いのだが・・・何よりも舞台上で起きている作り物でないハプニングをLIVEで見ている、感じられるというのはとても楽しかった。

【横堀ふみ】
ある人物に対して他者が語っていくアプローチは、映画からも可能だろうし、ましてや菱田さんが書いた本をじっくり読んでもいいのだと思う。が、「蟹京都」、Liveである芝居なのだ。芝居には、物語(いつかの時間軸をもち、いつでもない時間軸も持つ)とまさしく現在起きていること、その二つの時間軸がある。その二つの軸が絡み合った瞬間に、ぐにゃりと場や時間などがゆがみ、物語が活き活きと動き出す。”生”の瞬間だ。(現在の軸を引き寄せるも、巻き込まれながらも亀裂を入れていくも、舞台に立つ人にしかできないことだ。)逆に死んだ状態もあり、それらが顕著にあらわになる。(私は、その二つの時間軸を行き来する存在としてダンサーやお笑い芸人の杉岡さんがいたのではないかと思ってる。)そして言うまでもなく、あらわにまで追い込むのは菱田さんの本の力が始めにあるからやと思う。この3日間はそれらを、あからさまに、淫靡で、息の詰まる、けだるさや、なにがなんだか訳の分からない瞬間も、このdBで目撃した。菱田さん、読売文学賞/戯曲部門の受賞、おめでとうございます!これからもとんでもない!?本を期待しています。


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