(日指)
今年度は1年間に新作を三本発表されるということで、今回がその3本目ですが、作品を創る時に意識されたことはありますか?


(相原)
意識とかはないんですけど、1年間に1時間もの3本創るっていうのはかなり暴力技で、やりたいことを形にするのには時間が必要じゃないですか、それなのにもうスケジュールが決まってるから、自分が考える時間よりも先に稽古日程が組まれて稽古場に行かないといけない状態になってたんで。今回は特に前の作品から4ヶ月でここに来ないといけなくて。理想があってそのイメージを創りたいっていうよりは、今持ってる引き出しのすみっこをほじって集めようかなという感じで。こんなんやりたいわ、こんなんしなあかんわ、ということよりは、何ができるんやろうというスタンスだったので、それがいつもとは逆でしたね。

(日指)
女性ダンサーがWキャストですが、同じ作品でも違ってきている部分はありますか?


(相原)
彼女達の性格と見た目が違うので、どうやっても。同じキャラクター、同じ振りでも普段背負ってきたものとか、にじみ出るものが全く違うので印象はかなり変わると思います。それと男性ダンサーとの関係性もそうですし。でもそれは見る人の感覚にも結構ゆだねられるので。

(日指)
じゃあ、今回は2回公演、どちらも見ていただきたい感じですね。


(相原)
そうですね、もうそれは、どっちも見ていただきたいです。あと、ダンサーがお互いのを見ることによって新しく発見することがやっぱり多くて、そういうことの大切さっていうのもすごくわかって。伸び方が今までと違うっていうか、人のを見て自分も工夫するから短時間でもギュッて。新しいことを発明したり、もっとこうしたほうがいいなぁっていうことをダンサーが自分で見つけている頻度も多かったですね。


(日指)
今回は、舞台美術がとても特徴的ですが。


(スエモト)
舞台の空間としてはね、なにかやりたいねっていうのはあった。


(相原)
より二人しかそこにいないっていうことを印象づけることと、テーマ的にも見世物小屋的な要素を考えました。


(スエモト)
完全に空間を分けてしまう。世界を分けてしまうっていう。



(相原)
こっちが見てるのか向こうが見てるのかわかんないよっていう、あえてそういうことをっていうのはあんまりしないんですけど、常に意識してることですね。




(日指)
お客様が最初に舞台美術をみて、まずびっくりされることの1つに素材のこともあると思いますが。


(相原)
もうイメージですよね。世界を作りきらないといけないなっていうのがいつもあって。ちゃんとそういう世界やでって納得するまで足していきたかったんですね、今回は。dBという空間でできる最大限までやりたいねって。

(スエモト)
ぼくは舞台をやってきてて入ったわけではないので、ダンサーにとっては、踊りにくい…(笑)、いじわるするくらいの勢いでこんなんやってみたったらどうやろ、っていうところが。

(相原)
でもちゃんとけがしないように処理をしっかりやってくれるので、安心して任せられます。



(日指)
舞台美術を具体的に形にする時に大切にされてることってありますか?


(スエモト)
舞台の作品でみんなで1つのものを創り上げていくのと、自分だけで作品を創ったりすることは違うとこは違うんですけど、自分の中には一貫したテーマっていうのがあって。立体作品というのの元を考えれば、何もない空間に一本の線が立ち上がることによって、その線を取り巻く空間が生まれるっていうのが立体の基本だと思ってるんですね。空間が生まれて、その空間が素材と繋がってまた新しい空間が生まれるっていう積み重ねと、あと、ボリュームのある何かが目の前にあるという存在感も1つなんですけど、抜け殻の存在感っていう、それがなくなってしまう、痕跡で残る存在感。実際はなくても存在している、していたっていう、そういうことは毎回テーマに。
(相原)
ダンスでもソロで、ダンサーがそこで動いた後にそこに存在感が残るっていう。そこらへんが舞台作品と似てるねって。


(日指)
最後に一言お願いします。


(スエモト)
見た後に何か答えを見つけなきゃいけない、わからないからとか変に堅苦しく考えないで、見たまんまを自分に照らし合わせて、何か素直に感じて帰ってもらいたいなっていうのは今回に限らず思います。
相原さん:見に来てほしいです!っていうのと、人にもよるでしょうが、作品に限らず、舞台に非現実的、自分にとってアンユージュアルなことを見に行かれる方って多いと思うんです。私もそういう風に見てることもあるんですが。結構そういうのは自分の隣にも起きてるよっていうか、お客さんも舞台と客席を行ったり来たりというか…。劇場通いをしてほしいなと思います。


私のつたない質問で、こんなに沢山のいい話が聞けるとは!そんな感嘆が緊張から解放された私に降ってきました。お話を聞いていて、目と言葉に芯からフツフツと湧いているような強さを感じました。なんだか見所をいっぱい見つけることができました。きっかけはなんであっても、ふらりと見にいらしてみてはどうですか?(聞き手/日指貴子)

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 CRUSTACEA(クルスタシア)の「R 改訂版」は一昨年に上演した作品の再演である。ただ、映像や舞台美術を初めて使ったことでやや焦点がぼけてしまっていた旧作を今回は純粋に身体の動きだけに焦点を絞り込む形でタイトに再構築し、「立ち尽くすダンス」というそのラジカルなコンセプトが一層露わになった。この作品は当日のパンフに濱谷由美子が「鈴木いずみ、岡崎京子、HIROMIX、小島麻由美といった女性の表現者だけが持っている女性性と少女的な暴力性を表現してみたい」と書いているように女性というジェンダーの置かれた様々なアスペクトをダンサーの仕草や動きにより表現したものではあるが、それだけだと「自分を解って」的な閉じた表現になりかねないところをダンス表現の根底へ迫る実験的な試みでより普遍的なものに通底させていっているところが刺激的だった。

 約1時間の作品だが、最後の十数分間が2人のダンサー(濱谷由美子、椙本雅子)が正面を向いたまだつま先立ち(バレエでいうデュミポワントのような形)になったまま左右の腕で微妙にバランスを取りながら、ただ立ち尽くすという振付になっている。そこでは具体的な動きの指示はいっさいない。実際にはここでは左右の手を微妙に動かしてなんとかバランスをとろうと試みたり、ひざを少し曲げてみたりと微細な動きが繰り返されるのだが、それまでの激しい動きによって若干消耗した状態のままこの不安定な姿勢を取ることによる身体的負荷により、ここで立ち現れる身体のアンコントローラブルな在りようそのものが舞台上で提示される。そこからは人間が根源的に持つのだが普段は抑圧されて見えることがない生命のエッジのようなものが垣間見えて、私はそこからタイトロープのような崖っぷちに立ち、そこからいつころげ落ちる(死を迎える)かが分からない人間の存在の危うさ、そして愛しさのようなものを感じ取ったのである。ここでの感じ方はあくまで私個人のものであって、人にそれを強要するつもりは毛頭ない。むしろ、この場面はこの作品において、観客それぞれにその数と同じだけ、なにかを想起させる「鏡」のような場面として働いているのではないかと思う。

 CRUSTACEAはそのムーブメントにおいてはデュオとして床面での回転やアクロバティックなリフトなど2人の激しい動きを中心に振付を構成してきた。アスレチックな動きの連続性がその魅力であるとともに時にはそのテクニックにおいては若干、どこかで欧州系のコンテンポラリーダンスで既視感のある動きの連鎖が見える時もあり、その辺りにやや課題もあった。そうした流れが変容のきざしを見せたのが、初演の「R」だが、その後に上演された「SPIN」そしてその発展形といえる「ARDEN」*3では最後のパートで軽快にリズムを刻んでいく音楽に合わせて、激しい振付に合わせてダンスが踊られるのだが、「振付」が彼女らが踊れる身体強度を超えた負荷のかかるものに設定されているために実際に身体によってトレース可能な動きと仮想上のこう動くという動きの間にある種の乖離(ぶれのようなもの)が生まれた。それをを見た目でこの「R」を見直すと、「倒れるまで立ち尽くす」というこの作品が、動く/動かないという意味合いでは対極に位置するように見えながら、実はコンセプトにおいては双生児のように似ているように私には思われた。バレエなどに代表される西洋のダンスにおいては「踊る」ことは訓練の成果によって制御された身体が「振付」(=指定された動き)を具現化することだと従来考えられてきたが、この2つの作品において濱谷が舞台で提示しようと考える身体の在り方はそういうものとは違う。偶発的でありながら、必然的に生まれてくる制御不可能な動きはきわめてスリリングなもので、そこにダンスの新しい可能性が見えたのである。

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【上田美紀】
「髪は女の命」久しぶりにそんな言葉を思い出した。始めのシーン。高校生が暇な授業中に髪の毛をいじっているような、なにかむしゃくしゃすることがあって、髪をくしゃくしゃにしているような。お出かけ前に念入りに手入れしているような。アフタートークでは最近はあまり男とか女とかよりも人間としてどう生きるか、と言うようなお話しをされていましたが、この髪の毛を触っているシーン、私にはたまたま生まれついた”女”という性をこれからも生きていく、そんな覚悟の様に見えた。初演の時はお二人体大丈夫だろうかと思うくらいお互いを引っ張り合って、傷つけあっている様に見え、私はハラハラしていた。その戦いがまるで少女から大人に移る女の葛藤みたいなものにも思えた。今回はそんな激しい戦いではないけれど、何か自分の心のもっと奥で自分も気付かないかもしれないところで悩み、戦っているように思えた。

【上藪恵美】
1日目の公演で観ました。私は、横浜ダンスコレクションの受賞者公演で観ていて、今回の公演はHPで大改造とあり楽しみにしていましたが、1ヶ月余りでの本当に大きな変化にビックリしてしまいました。
2人が出てきてのいきなりのリフト。あまりの音にちょっとコワいものを感じてしまいましたが、その後の踊りから支障は感じられなかったので安心していました。
受賞者公演のときよりは、最初のリフト以外はおとなしく感じましたが、でもdBのあの空間が狭く感じてしまうダンスは、十分に楽しませてもらいました。
濱谷さんの踊りがとても強い光を放っているかのようで、今まで観た中で一番輝いていました。CRUSTACEAの真っ直ぐなエネルギーも感じさせながら。
インタビュー時の濱谷さんの想いの通り、観ている間、とても深いものを感じられて、
帰りの電車の中まで余韻がありました。
作品としても確実に改良されて、良い方向に進んだように思います。

【鈴木知子】
今回Rの改訂版ということで前回とかわらなくやったとこがあったらしい。真ん中に四角の明かりに白い布を引いて少しはなれて両端に二人がかかとあげてバランスを保ちながら耐える。それを見た時頑張れっとおもったり、苦しいなぁっとおもったり…観客にいろんな気持ちにさせる。
二人の踊りを見たは観客にいろんな気持ち(感じ)にさせつつ、踊りが強くなるほど混乱しそうでした。
アフタートークの準備が早く、二人は息がととなってないまま話を…”いつもの生活に何か変化できればと…”私も少し自分をみなおそうとおもった。話をしてる間お茶を一気に飲む姿に私はお疲れ様です!という気持ちなりました。

【横堀ふみ】
言葉にできない、もやもやしているもの。なんとなく掴めそうだけど、なにか(言葉やイメージとか)にしようとすると、するすると逃げていってしまいそうなもの。そういったものが底辺に流れていた印象がある。その流れを掴もうとしたり、寄り添ったりしながらの、1時間であった。シーンの断片や残像がじんわりと残ってきている。
パンフレットに「女性の負のエネルギー」と書かれてあって、とてもその言葉に私は惹かれたし、あっ、そうなんやと思った。「R」はこれで終わりということはないように思ってて、クルスタシアの二人が年を経て、またその年齢でしか作り得ない「R」が生まれてくるんじゃないかなと勝手に思った。
そして、仕込みの日から毎晩遅くまで一緒にお酒を飲んだこともすごくいい時間だった。

 

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